5月の祈り23日
キリストを経験し(2)第22週(メッセージ10 第5日)
一人の新しい人の中で、キリストの平安に、わたしたちの心を裁定させます
コロサイ3:15
そして、キリストの平安に、あなたがたの心を裁定させなさい.この平安のためにあなたがたも、一つからだの中で召されたのです.そして感謝にあふれていなさい。
エペソ4:3
平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことを熱心に努めなさい。
「わたしたちは一人の新しい人のために、また一人の新しい人の中で、キリストの平安に、わたしたちの心を裁定させる必要があります(エペソ2:14前半,15後半.コロサイ3:12-15.2:14-18.ローマ5:1.マタイ18:21-35)。わたしたちの心の中のキリストの裁定する平安は、あらゆる人に対するわたしたちの不満を解決します(コロサイ3:13-15)」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストはわたしたちの間のすべての違いを十字架上で廃棄され、からだのために平和をつくられたことを感謝します。主よ、わたしたちが十字架を適用して、キリストの平安にわたしたちの内側を支配させることができますように。
全召会と回復全体は、キリストの裁定する平安によって維持されます
[コロサイ人への手紙第3章15節における]「裁定する」のギリシャ語はまた、「審判する、つかさどる、あらゆることの支配者、決定者としての位に就く」と訳すことができます。……わたしたちは正常なからだの生活のために、彼のからだの肢体の間の関係において、わたしたちの心の中ですべての事を裁定し、調整し、決定するキリストの平安を必要とします。わたしたちがキリストの平安のために召されたことは、わたしたちを動機づけて、この平安にわたしたちの心を裁定させるはずです。……
わたしたちが、御座に座すキリストの平安の支配の下にとどまっているなら、人を怒らせたり、傷つけたりすることはありません。むしろ、主の恵みによって、また彼の平安をもって、わたしたちは人に命を供給します。地方召会の中の、また諸召会の間の一は、……ただキリストの裁定する平安によって維持されます。主の回復の管理と維持はわたしたちの責任ではありません。全召会と回復全体は、キリストの裁定する平安の下にあります。(「コロサイ人への手紙ライフスタディ」、第29、63編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り22日
キリストを経験し(2)第22週(メッセージ10 第4日)
キリストは十字架上で、数々の規定を廃棄して、ご自身の中で新しい人を創造しました
エペソ2:14
なぜなら、彼ご自身は、わたしたちの平和であって、両者を一つにし、そして敵意である隔ての中垣を取り壊し、
コロサイ2:14
そして、わたしたちに敵対し、わたしたちに逆らっていた、数々の規定から成っている手書きの書を消し去り、それを取り除いて、十字架に釘づけてしまわれたのです。
「キリストは十字架上で、数々の規定から成っている戒めの律法、隔ての中垣を、彼の肉体の中で廃棄して、ご自身の中で新しい人を創造しました(エペソ2:14後半-15前半)。15節で語られている律法は、道徳の戒めの律法ではなく、儀式の戒めの律法、例えば、割礼、安息日を守ること、ある食物を食べることなどの規定です。規定は生活と礼拝の形式や方法であり、それが敵意と分裂を造り出します」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたが十字架につけられた時、すべての規定がそこに釘づけられたことを感謝します。主よ、わたしたちが自分の文化や背景を源としないで、キリストを唯一の源とすることができますように。わたしたちがキリストを唯一の誇りとする召会生活をすることができますように。
規定は生活と礼拝の形式や方法であり、それが敵意と分裂を造り出します
わたしたちはある実行を好むかもしれませんが、それらを主張すべきではありません。もし特定の実行を主張するなら、わたしたちはそれを分離させる規定とし、敵意を造り出します。… 規定は敵意と分裂を造り出すので、わたしたちはそれらをとても慎重に取り扱わなければなりません。規定は、互いに親密であった人たちの間でさえ、憎悪の原因となる可能性があります。……ですから、わたしたちはすべての規定を拒否し、罪深い、不道徳な、偶像礼拝的なものを含んでいない限り、聖徒たちの実行を受け入れなければなりません。わたしたちはある実行を良しとしないかもしれませんが、それらを受け入れて、規定に何の立場も与えないようにすべきです。
キリストは、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄することによって、ユダヤ人と異邦人の間の隔ての中垣を取り壊されました。彼が十字架につけられた時、すべての規定はそこに釘づけられました(コロサイ2:14)。エペソ人への手紙第2章15節で語られている律法は、道徳の戒めの律法ではなく、割礼、安息日を守ること、ある食物を食べることの規定などの、儀式の戒めの律法です。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(1)」、第23編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り21日
キリストを経験し(2)第22週(メッセージ10 第3日)
召会は神の働きの傑作です
エペソ2:10
なぜなら、わたしたちは神の傑作であり、良い働きのために、キリスト・イエスの中で創造されたからです.……
エペソ3:10
今、天上にある支配たちや権威たちに、神の多種多様な知恵を、召会を通して知らせるためであり。
「新しい人の創造において、まずわたしたちの天然の人が、キリストによって十字架につけられました。次に古い人を取り除くことを通して、キリストは神聖な要素をわたしたちの中へと分け与えて、わたしたちを神の働きの傑作、宇宙における完全に新しい項目、神の新しい発明とならせました(ローマ6:6.Ⅱコリント5:17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。新しい人の創造のために、わたしたちの天然の人がキリストによって十字架につけられたことを感謝します。わたしたちは数が多くても、宇宙で一人の新しい人です。神の多種多様な知恵を召会、一人の新しい人を通して展覧できるように、わたしたちを神聖な要素で構成してくださいますように。
召会は、キリストであるすべてについての神の知恵ある展覧です
ユダヤ人と異邦人は、分離する数々の規定によって、極みまで分離されていましたが、その両者とも、キリストの中で、神聖な本質をもって、一つの新しい実体へと、すなわち団体の人、召会へと創造されました。召会は、神の召会、キリストのからだ(すべてを満たしている方の豊満、表現――エペソ1:23)、また神の家族、家庭、家、宮、住まい(2:19、21-22)であるだけではありません。それはまた一人の新しい人でもあります。一人の新しい人は団体的で、普遍的であって、二つの民、すなわちユダヤ人と異邦人から創造され、またすべての信者から構成されています。彼らは数が多くても、宇宙で一人の新しい人です。
神は人を団体的な実体として創造されましたが(創1:26)、神によって創造された団体の人は、人の堕落のゆえに損なわれました。このゆえに、神は新しい人を生み出す必要があったのです。これは、キリストが彼の肉体の中で数々の規定を廃棄することを通して、また彼がご自身の中で新しい人を創造することを通して、完成されました。(「新約の結論(20)」、メッセージ336)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り20日
キリストを経験し(2)第22週(メッセージ10 第2日)
新しい人は、キリストの死を通して、キリストの復活の中で創造されました
エペソ2:15-16
数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄されたからです.それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり、また十字架を通して、両者を一つからだの中で神に和解させるためでした.それによって敵意を殺してしまったのです。
「神の詩、傑作としての新しい人は、キリストの死を通して、キリストの復活の中で創造されました(エペソ2:10,15-16)。キリストは「彼の肉体の中で」、宇宙のすべての消極的な事物を終わらせました。すなわち、神の敵、悪魔サタン(ヘブル2:14)、罪(ローマ8:3.ヨハネ1:29)、堕落した人の肉(ガラテヤ5:24)、サタンの邪悪な体系であるこの世、コスモス(ヨハネ12:31)、古い人で代表される旧創造(ローマ6:6)、律法の分離する規定(エペソ2:15)です。キリストは範囲、要素、本質としての「ご自身の中で」、ユダヤ人と異邦人を一人の新しい人へと創造しました」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストは「彼の肉体の中で」宇宙のすべての消極的な事物を終わらせてくださったことを感謝します。そして、「ご自身の中で」、ユダヤ人と異邦人を一人の新しい人へと創造してくださったことを賛美します。わたしたちがキリストを一人の新しい人のパースンとして経験し、享受することができますように。
キリストは復活の中で、また彼のすばらしい霊の中で、一人の新しい人を創造されました
キリストは、消極的な事物を終わらせるだけでとどまりませんでした。… 肉体の中のキリストは十字架につけられましたが、この死は彼を復活の中にもたらしました。復活の中で、彼はもはや肉体の中にはいません。むしろ、彼はすばらしい霊です。わたしたち、古い人が終わらされたのは、彼の肉体の中ででしたが、わたしたちが一人の新しい人の中へと創造されたのは、すばらしい霊の中でです。
わたしたちの古い人と古い性質が十字架につけられた時、わたしたちの堕落した性質に関する規定は殺されました。次にキリストの復活の中で、また彼のすばらしい霊の中で、わたしたちは一人の新しい人へと創造されました。… わたしたちが十字架上のキリストの肉体の中で終わらされたことは、驚くべき事実です。さらに、わたしたちは生まれる前、すばらしい霊の中で創造されて、一人の新しい人となりました。(「エペソ人への手紙ライフスタディ(1)」、第24編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り19日
キリストを経験し(2)第22週(メッセージ10 第1日)
神の傑作としての一人の新しい人の創造主
創1:26
それから、神は言われた、「われわれのかたちに、われわれの姿にしたがって、人を造ろう.そして彼らに、……全地と地を這うすべての這うものを治めさせよう」。
エペソ2:15
数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄されたからです.それは、彼がご自身の中で、二つのものを一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり。
「神が人を創造した意図は、団体の人を持って、神を表現させ神を代行させることでした(創1:26.エペソ2:15)。神は人をご自身のかたちに創造して神を表現させ、人に神の統治権を与えて、人が神を代行して神の敵を対処するようにしました(創1:26)。新創造の中にある新しい人としての召会は、神の表現のために神のかたちを帯び、神の王国のために神の敵と戦います(コロサイ3:10-11.エペソ2:15.4:24.6:10-11)」。
主イエスよ、あなたを愛します。人が神のかたちに、神の姿に創造されたことを感謝します。わたしたち召会が新創造の中にある新しい人として、神を表現することができますように。また、神の力強い大能の中で力づけられ、神の敵と戦うことができますように。
神の目的は、人が神のかたちをもって神を表現し、神の統治権をもって神を代行することです
人に統治権を与えることでの神の目的は、(1)神に反逆した神の敵サタンを征服すること、(2)サタンによって強奪された地を回復すること、(3)神の権威を地に行使して、神の王国が地に臨み、神のみこころが地上でなされ、神の栄光が地上で現されることです(マタイ6:10、13後半)。神の目的は、人が神のかたちをもって神を表現し、神の統治権をもって神を代行することであり、それが完成されたのは、最初の人(Ⅰコリント15:45後半)……、古い人(ローマ6:6)であるアダムにおいてではなく、第二の人……、新しい人……であるキリストにおいてです。
この新しい人は、かしらとしてのキリストご自身と、彼のからだとしての召会……から成っています。それは勝利を得た信者たちにおいて完全に完成されます。彼らはキリストを生きて彼を団体的に表現し(ピリピ1:19-26)、諸国民に対して権威を持ち、千年期にキリストと共同の王として支配します……。それは究極的に、新エルサレムにおいて完成され、神のかたちを表現し、彼の栄光を持ち、彼の外観を帯び……、また神の神聖な権威を行使し、全宇宙に対して神の統治権を維持して永遠に至ります。(創1:26、フットノート5)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り17日
キリストを経験し(2)第21週(メッセージ9 第6日)
神の中に隠されていた奥義のエコノミーは、キリストのからだとしての召会の奥義です
Ⅰテモテ3:15-16
それは、もしわたしが遅れた場合、神の家の中でどのように振る舞うべきかを、あなたに知ってもらうためです.神の家とは生ける神の召会であって、真理の柱また基礎です。そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です.この方は肉体において現され、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世の人の中で信じられ、栄光のうちに上げられた。
「偉大な奥義、すなわちキリストと召会は、宇宙と人生の意義です(啓4:11.エペソ5:32)。神が万物(人を含む)を創造した意図は、人が神とミングリングされて、召会を生み出すことでした(ゼカリヤ12:1.エペソ3:9)。各時代にわたって神の中に隠されていた奥義のエコノミーは、キリストのからだとしての召会の奥義です(3:9-10)。キリストの奥義と召会の奥義は、わたしたちの日ごとの生活であるべきです」。
主イエスよ、あなたを愛します。偉大な奥義であるキリストと召会を賛美します。主よ、あなたはわたしたちの命として、わたしたちの中におられることを感謝します。わたしたちの日常生活において、順境であれ、逆境であれ、あらゆることがこの奥義の表現となりますように。
キリストの奥義は、わたしたちの日常生活であるべきです
わたしたちはクリスチャンの生きるべき生活について知りたいなら、キリストの奥義について知らなければなりません。キリストの奥義は、わたしたちの日常生活であるべきです。この奥義がなければ、わたしたちの生活は人の生活にすぎません。それはクリスチャンの生活ではないでしょう。クリスチャン生活は奥義であり、この奥義はキリストと関係があります。このキリストはすでにわたしたちの命として、わたしたちの中におられます。彼は日ごとにわたしたちの中で生きておられます。
日常生活の中で、積極的であれ消極的であれ、楽しくてもつらくても、あらゆることがこの奥義の表現であるべきです。この理由は、生きているのはわたしたちではなく、奥義なる方がわたしたちの内側に生きておられるからです。この世のあらゆる人は、自分自身へと生きています。彼らが幸福であっても悲しみがあっても、全く奥義はありません。しかし、クリスチャンは異なります。順境の中で、クリスチャンは感謝します。逆境の中で、クリスチャンは賛美をささげます。他の人たちは彼に当惑します。これがキリストの奥義の物語です。(「神の新約エコノミーの中の奥義」、第2編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り16日
キリストを経験し(2)第21週(メッセージ9 第5日)
召会の奥義は、宇宙における究極の奥義です
コロサイ1:26
その奥義は、各時代にわたって、また各世代にわたって隠されてきましたが、今や神の聖徒たちに明らかに示されています。
エペソ5:32
この奥義は偉大です.実は、わたしはキリストと召会について言っているのです。
「召会の奥義は、宇宙における究極の奥義です。召会は、神の永遠のエコノミーにおける隠された奥義です(エペソ3:9-11)。宇宙の奥義は神であり、神の奥義はキリストであり、キリストの奥義は召会です(創1:1.啓4:11.コロサイ2:2.エペソ3:4)。新エルサレムにおいて、神はご自身が創造した人において、永遠で満ち満ちた表現を得ます。これは、宇宙における究極の奥義、すなわち、召会の奥義です(エペソ5:32)」。
主イエスよ、あなたを愛します。各時代、各世代にわたって隠されてきた奥義が、今や神の聖徒たちに明らかに示されていることを感謝します。今日、地上で明るく輝いている召会は金の燭台であり、新エルサレムは宇宙における究極の奥義であり、召会の奥義です。主よ、新エルサレムが成就されるために、わたしたちの霊を強くして知恵と啓示で満たしてください。
新エルサレムは、宇宙における究極の奥義であり、召会の奥義です
万物を創造された神は、肉体と成ることを通して、人のただ中に来られました。この来られた方はイエス・キリストでした。このイエス・キリストは拡大される必要がありました。そして、彼の拡大が召会です。今日、地上で明るく輝いている召会は金の燭台です。この金の燭台は、その実質としての神と、その形としてのキリストと、その表現のために輝く聖霊を持っています。永遠において、この召会の究極的現れは、キリストの最愛の花嫁である新エルサレムです。
啓示録第22章17節は、「その霊と花嫁が言う、『来たりませ!』」と言います。その霊と花嫁は、一となり、一として共に語ります。神と人は永遠の夫婦となります。それゆえに新エルサレムは、神が人の中へと入られたことの究極の表現です。これが宇宙の物語であり、宇宙の究極的現れです。神はご自身が創造された人において、永遠で満ち満ちた表現を得ます。これが、宇宙における究極の奥義、すなわち、召会の奥義です。(リー全集、1983年、第1巻(上)、「聖書における五つの偉大な奥義」、第5編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り15日
キリストを経験し(2)第21週(メッセージ9 第4日)
召会時代、恵みの時代においては、あらゆることが奥義です
コロサイ2:2
それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至るためです。
エペソ3:4
あなたがたがそれを読むなら、キリストの奥義に関するわたしの理解を、知ることができます。
「召会時代、恵みの時代においては、あらゆることが奥義です。キリストの肉体と成ることは奥義です。それは奥義の時代の開始です(Ⅰテモテ3:16)。キリストは神の奥義です(コロサイ2:2)。召会はキリストの奥義です(エペソ3:4-6)。キリストは奥義です。召会は、キリストを表現するキリストのからだとして、キリストの奥義です。キリストと召会が一つ霊となることは、偉大な奥義です(5:32.Ⅰコリント6:17)。召会時代、奥義の時代の期間、キリストは召会を建造して、彼の花嫁とならせつつあります(マタイ16:18.エペソ4:16.啓19:7-9)。天の王国、キリストの内住、聖徒たちの復活と変貌は、すべて奥義です(マタイ13:11.コロサイ1:26-27.Ⅰコリント15:51-53)」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストは神の奥義であり、召会はキリストの奥義であることを感謝します。御言葉を読んで、キリストの奥義に関するパウロの理解を知ることができますように。召会が建造され、花嫁の用意が整えられますように。
キリストは神の奥義であり、キリストの奥義である召会を生み出します
宇宙の奥義は神です。新約は、神の奥義はキリストであることを啓示しています(コロサイ2:2)。キリストの奥義は召会です(エペソ3:4)。実は、これらは一つの奥義の三つの段階です。神はキリストの中に見いだされ、キリストは召会の中に見いだされます。ですから、召会はキリストの奥義であり、キリストは神の奥義であり、神ご自身は宇宙の奥義です。
コロサイ人への手紙第2章2節で神の奥義はキリストですが、エペソ人への手紙第3章4節でキリストの奥義は召会です。神は奥義であり、神の具体化として神を表現するキリストは、神の奥義です。キリストは奥義でもあり、キリストのからだとしてキリストを表現する召会は、キリストの奥義です。……召会は、神の奥義であるキリストから生み出された団体の単位です。このすべてを含むキリストは、奥義的な神の奥義であり、神の奥義であるそのようなキリストが、召会である単位を生み出されます。これによって、召会は、キリストである奥義の継続であるのを見ることができます。奥義は確かに奥義を生み出します。キリストは神の奥義であり、キリストの奥義である召会を生み出します。(「新約の結論(12)」、メッセージ190)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り14日
キリストを経験し(2)第21週(メッセージ9 第3日)
召会時代、恵みの時代においては、あらゆることが奥義です
啓10:7
しかし、第七の御使いが声を発する日、彼がラッパを吹こうとしている時に、神の奥義は完成される……
ダニエル9:24
七十週が割り当てられている.それは、違反を終結させ、罪を終わらせ、罪科のためになだめをなし、永遠の義をもたらし、ビジョンと預言者を封じ、至聖所を油塗るためである。
「第七のラッパは、手順を経た三一の神の永遠のエコノミーの結論として、現在の奥義の時代を閉じます。このゆえに、啓示録第10章7節は言います、「神の奥義は完成される」「ビジョンと預言者を封じ」(ダニエル9:24後)るとは、奥義の時代を閉じること、すなわち、神の奥義を完成することです(啓10:7.Ⅰテモテ3:9)。キリストが肉体と成ったときから千年王国までの時代、すなわち、召会時代、恵みの時代においては、あらゆることが奥義です。キリストの肉体と成ることは奥義です。それは奥義の時代の開始です(Ⅰテモテ3:16)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、恵みとしての主にあずかることができる恵みの時代、現在の奥義の時代を感謝します。この恵みの時代、召会時代にわたしたちが恵みにあずかり、この奥義の栄光の豊富を知ることができますように。
第七のラッパは、現在の奥義の時代を閉じ、神の奥義は完成されます
アダムからモーセまでの時代と、モーセからキリストまでの時代において、あらゆることは明らかにされ、現されたので、奥義はありませんでした。千年王国と新天新地においても同じです。あらゆることは明らかにされ、もはや奥義はありません。しかし、キリストから千年王国までの時代では、あらゆることが奥義です。
キリストの肉体と成ることは奥義です。それは奥義の時代の開始です(Ⅰテモテ3:16)。キリストご自身(コロサイ2:2)、召会(エペソ3:4-6)、天の王国(マタイ13:11)、福音(エペソ6:19)、キリストの内住(コロサイ1:26-27)、そしてこの奥義の時代の終わりとしての、聖徒たちの来たるべき復活と変貌(Ⅰコリント15:51-52)は、すべて世々にわたって隠されていた奥義です(ローマ16:25.エペソ3:5.コロサイ1:26)。第七のラッパが吹かれるとき、これらすべての奥義は過ぎ去り、完結され、完成されます。第七のラッパが吹かれるとき、地に対する神の激怒の裁きだけでなく、神の奥義も完成されます。(「啓示録ライフスタディ(2)」、第26編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り13日
キリストを経験し(2)第21週(メッセージ9 第2日)
キリストと召会は偉大な奥義です
ローマ16:25-26
神は、わたしの福音、すなわち、イエス・キリストについての宣べ伝えにしたがって、世々にわたって沈黙のうちに保たれてきた奥義が啓示されることにしたがって、あなたがたを堅固にすることができます.この奥義は今や現され、……預言者たちの書き物を通して、すべての異邦人に知らされ、彼らを信仰の従順へと至らせるのです。
「聖書は、奥義の啓示について語っています(ローマ16:25.エペソ3:3,5)。この奥義は、各時代にわたって神の中に隠されていました。しかし今や、新約の信者たちは、照らされたので、それを見ることができます(9節)。もしわたしたちが隠された奥義の啓示を見ようとするなら、わたしたちは内なる人の中へと、すなわち、わたしたちの再生された霊の中へと増強される必要があり、またキリストにわたしたちの心の中にご自身のホームを造っていただく必要があります(14-17節前半)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたち異邦人を信仰の従順へと至らせてくださることを感謝します。各時代にわたって神の中に隠されてきたキリストと召会に関するこの奥義を啓示してください。神が知恵と啓示の霊をわたしたちに与えて、神のエコノミーが何であるかを明らかにしてくださいますように。
キリストと召会に関するこの啓示は、神のエコノミー、隠された奥義です
わたしたちは、指導的な使徒たちと預言者たちに与えられた同じ啓示を受ける必要があります。……わたしたちは、内なる人の中へと増強されることによって、それを自分自身で個人的に、また主観的に受けなければなりません。キリストと召会に関するこの啓示は、神のエコノミー、隠された奥義です。……わたしたちが啓示を持っていないなら、使徒たち、預言者たちとなることはできません。わたしたちが神のエコノミーの啓示を持っているなら、神の新約の務めにおける使徒たちと預言者たちに従う者たちとなります。……
ローマ人への手紙第16章25節から26節でパウロは……世々にわたって沈黙のうちに保たれてきたが、今や新約の時代に現されているこの奥義について語っています。[この奥義には]おもに二つの面があります。一つは、神の奥義、すなわち、キリストです。彼は、信者たちの命またすべてとして、彼らの中におられますが、それは彼らが彼のからだの肢体となるためです。もう一つは、キリストの奥義、すなわち、彼の豊満を表現する、彼のからだである召会です(エペソ1:22-23)。ですから、キリストと召会は偉大な奥義です(エペソ5:32)。(「新約の結論(20)」、メッセージ337)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り12日
キリストを経験し(2)第21週(メッセージ9 第1日)
召会の奥義としてのキリストを経験し享受します
エペソ3:3-5
わたしが前に簡単に書き送ったように、その奥義は、啓示によってわたしに知らされました.あなたがたがそれを読むなら、キリストの奥義に関するわたしの理解を、知ることができます.その奥義は、今や彼の聖なる使徒たちと預言者たちに、霊の中で啓示されていますが、別の世代では、そのように人の子たちに知らされていませんでした。
「エペソ第3章3節から11節が啓示しているのは、わたしたちが召会の奥義としてのキリストを経験し享受することができるということです。神の隠された、定められた御旨は、奥義です。そして、この奥義を開くことは、啓示です。聖書は、奥義の啓示について語っています(ローマ16:25.エペソ3:3,5)。キリストの奥義である召会は、別の世代では隠されていましたが、新約の時代において啓示されています(5節)」。
主イエスよあなたを愛します。 わたしたちが召会の奥義としてのキリストを経験し、享受することができることを感謝します。主の心にあった奥義が何であるかを、わたしたちの霊に啓示してくださいますように。隠された奥義の啓示を見るために、わたしたちの再生された霊の中へと増強してくださいますように。
その奥義は、今や彼の聖徒たちに、霊の中で啓示されています
エペソ人への手紙第3章3節から11節は、わたしたちがキリストを召会の奥義として経験し、享受することができることを啓示しています。召会の奥義としてのキリストは、使徒たちと預言者たちに、霊の中で啓示されましたが、別の世代では、そのように人に知らされていませんでした。エペソ人への手紙第3章4節から5節でパウロは、キリストの奥義について語っています。……この奥義は神のエコノミーであって、神の具体化としてのキリストを、神の選ばれた人々の中へと分与することであって、からだを生み出し、キリストの中で神の具体化の増し加わりとし、神が団体の表現を持つことができるためです。
召会の奥義としてのキリストは、別の世代では隠されていましたが、新約時代では啓示されました。新約において、わたしたちには神のエコノミーの啓示があり、明らかにされています。別の時代、別の世代では、このエコノミーは隠された奥義でした。それは、アダムにも、アブラハムにも、……イザヤや他の預言者たちにも知らされていませんでした。神ご自身を人の中へと分与し、彼の御子のためにからだを生み出す神のエコノミーは、彼らに啓示されていませんでした。(「新約の結論(20)」、メッセージ337)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2025年5月10日
5月全国特別集会 メッセージ5
神の唯一の道
Ⅰコリント8:6
わたしたちにはひとりの神、父がおられるだけです.万物は彼から出て、わたしたちは彼へと帰するのです.またひとりの主、イエス・キリストがおられるだけです.万物は彼を通して存在し、わたしたちも彼を通して存在しています。
「神は唯一です(マルコ12:29)。神は唯一であり、彼のご計画も唯一です(エペソ1:9-11)。彼のご計画にしたがったエコノミーは、唯一です(エペソ1:10)。彼のエコノミーにおける働きは、唯一です(Ⅰコリント16:10)。彼の働きを遂行する道は、唯一です(使徒9:2)。全聖書には神が願っていることを遂行するただ一つの路線があります」。
主イエスよ、あなたを愛します。神聖な三一の分与を感謝します。わたしたちが神聖な分与を経験して、命の中で成長し、キリストのからだを建造することができますように。わたしたちが通常の方法で神聖な分与の中で生活して、神のエコノミーの中心的なビジョンにしたがった歩みをすることができますように。
一つの務めは、神聖な三一を分与して召会を生み出します
キリストは唯一です(Ⅰコリント1:13)。キリストの贖いの働きは、唯一です(Ⅰコリント15:3-4)。彼の死と復活の結果、すなわち召会も、唯一です(使徒20:28後半)。
務めは唯一です(使徒1:17.Ⅱコリント4:1)。この一つの務めは、神聖な三一を分与して、周辺としての召会を生み出すことです。主の回復は、唯一の務めによって、唯一のご計画、唯一のエコノミー、唯一の道、唯一の言葉、唯一の中心点を回復することです。新約における三人の偉大な著者(ペテロ、ヨハネ、パウロ)は、言葉遣いや発言において異なっていましたが、みな同じ一つの務めを遂行していました。それは同じ一つの務めを遂行して、一つの働きを行なうことによって、一つの目標を達成することです。すなわち、キリストのからだとしての召会を生み出し、新エルサレムにおいて究極的に完成することです。
書簡は、神のエコノミーの唯一の中心点をわたしたちに示しています。それは神聖な分与を伴う神聖な三一です(ローマ8:9, 11.Ⅰコリント12:4-6.Ⅱコリント13:14.ガラテヤ4:4-6.エペソ2:18.Ⅱテサロニケ2:13-14.テトス3:4-6.ユダ20-21節)。
「確かに神の霊があなたがたの中に住んでいるなら、あなたがたは肉の中にいるのではなく、霊の中にいるのです。もしだれでもキリストの霊を持っていないなら、その人はキリストのものではありません」(ローマ8:9)。神、その霊、キリスト、すなわち神格の三者がすべて、この節の中で述べられています。しかしながら、わたしたちの中にいるのはただひとりの方、すなわち、三一の神の三一の霊です(ヨハネ4:24.Ⅱコリント3:17.ローマ8:11)。 父なる神、子なるキリスト、霊なる神は、わたしたちの中に住んでおり、わたしたちの中にご自身のホームを造っています。わたしたちは、このすばらしい三一である居住者をわたしたちの内側に持っています(11節.参照、エペソ3:16-17)。
新約において神聖な三一に関して述べられているあらゆることは、神聖な分与と関係があります(Ⅰペテロ1:2.Ⅱテサロニケ2:13-14.Ⅱコリント13:14)。わたしたちは、日常生活において、通常で、徐々に、確実な方法で神聖な分与を受け、経験し、享受する必要があります(ローマ8:11.Ⅱコリント13:14)。 わたしたちが神聖な分与を経験すればするほど、ますます命の中で成長し、キリストのからだを建造します(エペソ3:16-19.4:15-16)。 手順を経て究極的に完成された三一の神は、奇跡的な方法でわたしたちの中におられるのではなく、普通の方法でわたしたちの中におられます(ローマ8:9, 11)。 わたしたちは、通常の方法で神聖な分与の中で生活し、神聖な分与の中の普通の日々に満足する必要があります。( 2025年5月全国特別集会アウトライン)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2025年5月9日
5月全国特別集会 メッセージ4
純粋さと中心点
マタイ5:8
心の純粋な人たちは幸いである.彼らは神を見るからである。
啓21:18
城壁は碧玉で築かれ、都は純金であって、透き通ったガラスのようであった。
「主の回復は独特なものです。回復の中でわたしたちは、あらゆる種類の混合から純粋にされなければなりません。 バビロンは、神のものと偶像のものとの混合です。バビロンの原則は、人のものと神の御言とを混合させ、肉のものとその霊のものとを混合させる原則です(歴代下 36:6-7.エズラ1:11.啓17:3-5)。神はバビロンの原則を他のいかなるものよりも憎みます。わたしたちが自分の中にあるあらゆるバビロンに属するものを裁く時はじめて、わたしたちもバビロンの原則を憎むと告白することができます。諸地方召会の中で、わたしたちはあらゆる混合から純粋にされなければなりません( Ⅱテモテ2:21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。心の純粋な人たちは神を見ます。わたしたちがあらゆる混合から純粋にされますように。 神のエコノミーの中心的なビジョンに焦点を合わせ ることができますように。そして、中心点のある奉仕をすることができますように。
純粋な心とは、主を唯一の目標とする心です
神の子供たちの間の大きな問題は、自己と霊との混合です(ヘブル4:12)。わたしたちの最も内なる部分にある霊は、純粋であり、汚れていません。しかしながら、霊が出て来て、魂と体を経過する時、それは汚れと腐敗によって汚染されるでしょう(Ⅱコリント7:1)。
わたしたちの心、良心、霊は純粋である必要があります。心の純粋な人たちは神を見ます(マタイ5:8.ヨブ42:5.啓22:4)。心が純粋であるとは、目的において単一であること、神の栄光のために神のみこころを達成するという単一の目標を持つことです(Ⅰコリント10:31)。純粋な心とは、主を唯一の目標とする心です(Ⅰテモテ1:5.Ⅱテモテ2:22.詩73:1)。わたしたちは、正しい良心を持つ必要があるだけでなく、純粋な良心も持つ必要があります(使徒23:1.24:16.Ⅰテモテ3:9.Ⅱテモテ1:3)。正しい良心とは、神と人に対してとがめのない良心です(使徒23:1.24:16)。
中心点のある働きにおいて、第一の資格は霊の純粋さです(Ⅱコリント6:4前半,6)。 霊が純粋である人を見いだすことは、とても困難です(Ⅱコリント7:1)。 わたしたちは神のエコノミーの中心的なビジョンに焦点を合わせるべきですが、召会の外側の実行を軽視すべきではありません。わたしたちは、わたしたちの中心また目標としてのキリストと召会についての中心的なビジョンに焦点を合わせるべきですが、聖書の中で啓示されている外側の事柄(浸水によるバプテスマ、頭のおおい、主の食卓、召会の立場など)も顧慮すべきです。 わたしたちは聖書の中の神聖な啓示全体を受け入れますが、神聖な啓示の中心と周辺を区別します。すなわち神聖な啓示の中の主要な事柄と二次的な事柄を区別します。( 2025年5月全国特別集会アウトライン)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2025年5月8日
5月全国特別集会 メッセージ3
キリストの内住を経験する
コロサイ1:27
神は彼らに、異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富がどんなものであるかを、知らせたいと願われました.それはあなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです.
エペソ3:17
またキリストが、信仰を通してあなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.
「キリストにあるわたしたちの信仰の最も尊い結果は、わたしたちがキリストをわたしたちの中へと受け入れることです(ヨハネ 1:12-13.3:15.ローマ 8:10.Ⅱコリント 13:5.コロサイ1:27)。これは純粋で奥義的な真理ですが、大部分のクリスチャンに無視されてきました。 キリストは天に昇りましたが、わたしたちの中に住んでもいます(コロサイ3:1.1:27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内にいますキリストを感謝します。キリストがわたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ってくださいますように。わたしたちに内住するキリストを命またあらゆるものとして経験し、享受することができますように。
内住するキリストはクリスチャン生活の秘訣です
キリストは復活の中で、命を与える霊として信者たちの中に住んでいます(ヨハネ14:16-18, 20.Ⅰコリント15:45後半)。キリストは地上にいたとき、弟子たちの外側で慰め主でした。彼は死と復活を通して、弟子たちの内側で別の慰め主、すなわち実際の霊と成りました(ヨハネ14:16-18, 20)。 内住するキリストはクリスチャン生活の秘訣です(コロサイ1:27.ピリピ4:12)。わたしたちがキリストの救いを享受することの最も重要な点は、内住するキリストです(Ⅱコリント13:5.ピリピ1:19.2:12-13)。内住するキリストは土の器の中の宝です(Ⅱコリント4:7)。
神がわたしたちの心の中を照らすことは、わたしたちの中へと宝、すなわち、三一の神の具体化であり、わたしたちの命またあらゆるものである、栄光の内住するキリストをもたらします(6節)。 わたしたちはキリストの目の表示を見つめ、彼の臨在を享受することによって、彼をわたしたちのパースンとすることを学ぶなら、内住するキリストの尊さの甘い感覚を持ちます(2:10.3:18.4:6-7)。
パウロは、わたしたちが内なる人の中へと増強されて、キリストがわたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ることができるようにと祈りました(エペソ3:17前半)。キリストはわたしたちの心の中にご自身のホームを造るとき、わたしたちの内なる全存在を制御し、ご自身をもって内なるあらゆる部分を供給し、増強します。 真の召会生活は、無限の計り知れないキリストが個人的に、わたしたちの心の中にご自身のホームを造った結果です(エペソ3:17前半.4:16)。 ( 2025年5月全国特別集会アウトライン)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2025年5月7日
5月全国特別集会 メッセージ2
神のエコノミーの中心点――ミングリングされた霊
Ⅰコリント6:17
しかし、主に結合される者は、主と一つ霊になります。
ローマ8:16
その霊ご自身、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子供たちであることを、証ししてくださいます。
「神のエコノミーの中心点(焦点)は、ミングリングされた霊、すなわち、神聖な霊と人の霊とのミングリングです。何であれ神が行なおうとする事、あるいは達成しようとする事は、この中心点と関係があります(エペソ3:9, 5.1:17.2:22.4:23.5:18.6:18)。神と人との結合は、二つの霊、すなわち、神の霊と人の霊との結合です。これら二つの霊の結合は、聖書の中の最も深い奥義です(Ⅰコリント2:11-14.エペソ5:32)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 その霊ご自身がわたしたちの霊と共におられることを感謝します。神の霊と人の霊が、共にミングリングされて一つ霊となることを感謝します。わたしたちがミングリングされた霊の中で生きることによって、キリストをわたしたちのすべてとして経験し、享受することができますように。
わたしたちのすべての霊的経験は、ミングリングされた霊の中にあります
新約の本質は、この二つの霊、すなわち、神の霊と人の霊が、共にミングリングされて一つ霊となることです(Ⅰコリント6:17)。神の霊と人の霊は、わたしたちの内側でミングリングされて一となっています。それによってわたしたちは、神・人の生活、すなわち、神であるが人であり、人であるが神である生活をすることができます(ガラテヤ2:20.ピリピ1:19-21前半)。神・人の生活は、二つの霊、すなわち、神の霊と人の霊とが、共に結合されミングリングされて一となっている生活です(ガラテヤ2:20.ローマ8:4)。
わたしたちのすべての霊的経験、すなわち、わたしたちと主との交わり、主に対する祈り、主と共に生きることは、このミングリングされた霊の中にあります(ヨハネ4:24.15:4-5.ローマ1:9.8:4, 16.エペソ1:17.2:22.4:23.6:18.ピリピ2:1)。「その霊……わたしたちの霊と共に」(16節)は、ローマ人への手紙において、神がご自身のダイナミックな救いを執行して、信者たちがこの救いにあずかるための最も重要な秘訣です。
わたしたちはミングリングされた霊の中で生きることによって、キリストをわたしたちのすべてとして経験することができます(Ⅰコリント1:2, 9, 24, 30.2:8, 10.3:11.5:7-8.10:3-4.11:3.12:12.15:20, 45後半, 47)。霊の中で生きるとは、キリストにわたしたちを満たしていただき、キリストにわたしたちに浸透していただき、ついにはキリストがわたしたちの全存在を飽和し、こうしてわたしたちを通して表現されることです(エペソ3:16-20)。わたしたちはミングリングされた霊の中で生活し、歩き、存在することによって、命の中で救われ、ついには神とわたしたち、わたしたちと神が完全にミングリングされて一となり、一つの命と一つの生活を持つようになります(ガラテヤ 2:20.ピリピ 1:19-21 前半)。( 2025年5月全国特別集会アウトライン)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2025年5月6日
5月全国特別集会 メッセージ1
神のエコノミーの中心的なビジョンを見る必要があります
使徒 26:19
こういうわけで、アグリッパ王よ、わたしは天のビジョンに背かず、
コロサイ2:2
それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキリストについての全き認識へと至るためです.
「わたしたちは神のエコノミーのビジョンを持つ必要があります――このビジョンはわたしたちを変革し、支配し、制御し、方向づけ、保護し、真の一の中に保ち、大胆に前進させます(箴29:18前半.使徒26:19)。 神のエコノミーの中心的なビジョンは、神の奥義としてのキリスト(コロサイ1:25-27.2:2)と、キリストの奥義としての召会(エペソ3:4)とに関するものです。これはキリストと召会という偉大な奥義です(5:32)。 主の回復の唯一の中心点は、三一の神の証し、すなわち三一の神の団体的な表現です。この中心点はイエスの証しです(エペソ3:16-17前半, 19後半.Ⅰテモテ3:9, 15-16.啓1:9)」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の奥義としてのキリストとキリストの奥義としての召会を感謝します。わたしたちが神のエコノミーの中心的なビジョンを見ることができますように。召会が三一の神の団体的な表現としてキリストのからだであり、イエスの証しとして、金の燭台として輝き出る証しを持つことができますように。
召会は三一の神の団体的な表現として神の豊満であり、キリストのからだです
神の当初の意図は、人が神の命と性質を受け、それによって彼の表現となるということでした。主の回復は神の団体的な表現を回復することです(創 1:26.2:7-9.コロサイ1:15.Ⅱコリント3:18.コロサイ3:10)。召会は三一の神の団体的な表現として、神の豊満です(エペソ1:22-23.3:19後半)。エペソ第3章16節から17節前半と19節後半でパウロが祈ったのは、三一の神がキリストの中でわたしたちの心の中にご自身のホームを造り、わたしたちの内なる存在が満たされて、三一の神の満ちあふれへと至り、三一の神が団体的に表現されるためです。これが今日、神が回復したいものです。
召会、すなわちキリストのからだは、三一の神の団体的な表現として、四・一の有機的な実体、すなわち父、子、霊、からだが共にミングリングされて一となったものです(エペソ4:4-6)。
金の燭台としての諸召会は、イエスの証しです
エペソ第4章4節から6節にある四・一の有機的な実体は、啓示録第1章9、12、20節にある金の燭台、すなわちイエスの証しに符合します。金の燭台としての諸召会は、イエスの証しを担っています。「イエスの証し」はすべてを含む言い方です(啓1:2, 9)。イエスの証しとは御子の証しであり、御子は御父と共にその霊によって来て、地上で生活し、十字架上で死んで宇宙を一掃し、神聖な命を解き放ち、死人の中から復活して、命を与える霊と成りました。命を与える霊は御子として御父と共に来て、神性、人性、人の生活、十字架、復活と複合されています(ヨハネ1:14.14:17-18, 20. Ⅰコリント15:45後半)。そのようなすべてを含む証しが、イエスの証しです。この証しには象徴があり、それは金の燭台です(啓1:2, 9, 12, 20)。(2025年5月 JGW全国特別集会アウトライン)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2025年5月5日
5月全国特別集会
主 題:
神のエコノミーの中心的なビジョンにしたがった焦点(中心点)のある奉仕
標 語:
わたしたちは神のエコノミーのビジョンを持つ必要があります――このビジョンはわたしたちを変革し、支配し、制御し、方向づけ、保護し、真の一の中に保ち、大胆に前進させます。
最終的に、聖書はわたしたちにただ一つの事を要求します。それは、わたしたちがミングリングされた霊にしたがって歩くことです。神聖な分与を通して、手順を経て究極的に完成された三一の神を経験し享受するかぎは、わたしたちの再生された霊の中にあり、わたしたちの霊と一つ霊になっているすばらしい霊の中にあります。
真の召会生活は、無限の計り知れないキリストが個人的に、わたしたちの心の中にご自身のホームを造った結果です。召会の内容は、わたしたちがパースンとするキリスト、すなわち、わたしたちの存在の中へと造り込まれたキリストです。
主の回復の道は、聖なる御言の中の神聖な啓示全体にしたがっているので、それは、御言の中で啓示されている中心的な事柄と周辺的な事柄の両方を含んでいるという点ですべてを含んでいます。わたしたちは聖書の中で啓示されている外側の実行を顧慮しますが、これらの実行のどれ一つとして規定の方法で主張しません。
箴 29:18
ビジョンがない所では、民は勝手に振る舞う. しかし、律法を守る者は幸いである。
コロ2:2
それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、 神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至るためです.
Ⅰ.わたしたちは神のエコノミーのビジョンを持つ必要があります――このビジョンはわたしたちを変革し、支配し、制御し、方向づけ、保護し、真の一の中に保ち、大胆に前進させます(箴29:18前半.使徒26:19)。
Ⅱ.神のエコノミーの中心的なビジョンは、神の奥義としてのキリスト(コロサイ1:25-27.2:2)と、キリストの奥義としての召会(エペソ3:4)とに関するものです。これはキリストと召会という偉大な奥義です(5:32)。
Ⅲ.主の回復の唯一の焦点(中心点)は、三一の神の証し、すなわち三一の神の団体的な表現です。この焦点(中心点)はイエスの証しです(エペソ3:16-17前半, 19後半.Ⅰテモテ3:9, 15-16.啓1:9, 12, 20)。(2025年5月 全国特別集会)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
5月の祈り3日
キリストを経験し(2)第20週(メッセージ8 第6日)
霊によって生き、歩きなさい
ガラテヤ5:16
しかしわたしは言います.霊によって歩きなさい.そうすればあなたがたは、決して肉の欲を満たすことはありません。
ガラテヤ6:7-8
欺かれてはなりません.神は侮られるような方ではありません.なぜなら、人がまくものは何であれ、それをまた刈り取るからです。自分の肉へとまく者は、肉から腐敗を刈り取りますが、その霊へとまく者は、その霊から永遠の命を刈り取ります。
「すべてを含む、命を与える霊としてのすべてを含むキリストを受け、経験し、享受する道は、霊によって生き、歩くことによります(ガラテヤ5:16,25)。[そして]、主イエス・キリストの恵みがわたしたちの霊と共にあることによります(ガラテヤ6:17-18)」。
主イエスよ、あなたを愛します。その霊がわたしたち人の霊の中にあることを感謝します。朝起きてすぐに主イエスの御名を呼び、一日を霊の中で生き、歩くことから始めることができますように。主よ、わたしたちをその霊へとまき、永遠の命を刈り取る者にしてください。
主イエス・キリストの恵みが、わたしたちの霊と共にありますように
すべてを含むキリストを、すべてを含む命を与える霊として受け、経験し、享受する第六の道は、霊によって生き、歩くことによります(ガラテヤ5:16、25)。その霊によって生き、歩くことは、その霊によって生活行動することに等しいです。その霊は、人の霊の中にあります(ローマ8:16)。朝起きた後、わたしたちは霊によってすべてのことをすべきです。一日を、霊の中で生き、歩くことから始めなければなりません。…… 起きた後にすべき第一のことは、主の御名を呼び求めることです。「おお、主イエスよ」と呼ぶ時、わたしたちは霊の中にいます(Ⅰコリント12:3)。このように呼び求めることは、わたしたちをあらゆる物事から霊に連れ戻します。そうすれば、わたしたちは一日の良い始まりを持ち、……霊によってあらゆる状況に対応することができるでしょう。これが、その霊によって生き、歩くことです。
この経験は、キリストの死において彼と結合され、彼がわたしたちの中で生きる経験に続いて起こるものです。キリストとの結合を経験することがなければ、わたしたちはその霊によって生き、歩くことができません。…… ガラテヤ人への手紙は、第6章18節で結ばれています、「兄弟たちよ、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にありますように。アーメン」。わたしたちの霊と共にある主イエス・キリストの恵みは、キリストを受け、経験し、享受する方法です。(「神聖な啓示の中心路線」、第14章)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
千葉に在る教会は、コロナの流行により集会参加の際に、注意していただきたい点を掲載してまいりました。しかし政府により、この感染症に対する警戒ランクが引き下げられました。したがって集会時の、注意及び要望を解除いたします。しかし通常のインフルエンザ等における程度の対応は、各自の責任においてお願いします。なお、引き続きZoomを用いて、リモートで集会にあずかることは可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。
今後、集会の変更があった時は、LINE,ホームページ等でお知らせします。主イエス・キリストから恵みと平安が、みなさま一同と共にありますように。