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11月の祈り21日
(年二回の訓練(7月)第11週4日)
御父の家は、三一の神とわたしたち、神性と人性とのミングリングの中で共に建造されます
ヨハネ14:21,23
わたしの戒めを持ち、それを守る者は、わたしを愛する者である.わたしを愛する者は、わたしの父に愛される.わたしも彼を愛して、わたし自身を彼に現す。…… イエスは彼に答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。
「神の御子、主イエス・キリストは、その霊により、また彼の死と復活を通して、有機体、召会を建造しつつあり、それは彼のからだまた御父の家であって、三一の神と彼の選ばれ贖われた人とのミングリングによって生み出されます(ヨハネ14:7-24)。御父の家は、御父と御子がその霊と共に、贖われた選びの民を絶えず訪れることによって建造されます(23節)」。
主イエスよ、あなたを愛します。御父の家は、三一の神がわたしたちを絶えず訪れることによって建造されることを感謝します。主よ、わたしたちがあなたを愛する者、あなたの言を愛する者になって、相互の住まいが建造されますように。
神と信者たちが共に建造されて、相互の住まいとなります
ヨハネによる福音書第14章はおもに、いかにして三一の神がご自身をわたしたちの中へと分与し、彼とわたしたち、わたしたちと彼が、神性と人性とのミングリングの中で共に建造されるかを見せています。この章は、三一の神、すなわち父、子、霊が、イエス・キリストの中でご自身を信者たちの中へと分与しておられること、この神と信者たちが共に建造されて、神性と人性の建造となっていくこと、最終的にこの建造が相互の住まいとなること、神が人の中に住まわれ、人が神の中に住むことを明らかにしています。
これは第15章4節の主の言葉、「わたしの中に住んでいなさい。そうすれば、わたしもあなたがたの中に住む」の基礎です。これは相互の住み合いです。なぜなら、わたしたちは彼の中に住み、彼はわたしたちの中に住まわれるからです。「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第32編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り20日
(年二回の訓練(7月)第11週3日)
わたしたちは救われ再生された後、神の中にまたキリストの中にいます
ヨハネ14:3,20
わたしが行って、あなたがたのために場所を用意したなら、再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える.わたしがいる所に、あなたがたもいるようになるためである。…… その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろう。
「あなたがたのために、場所を用意しに行く」ことが意味するのは、主が場所を用意し、贖いを完成し、道を開き、立場を作って、わたしたちを神の中へと入らせるということです(ヨハネ14:2-3,6)。わたしたちはみなキリストにある信者として、神の中に場所を持っており、またからだの中に場所を持っており、今やキリストの死と復活を通してわたしたちのために用意された場所の中で生きるべきです(ヨハネ14:2-3,20.Ⅰコリント12:27)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたの死と復活を通して神の中に、キリストの中にもたらされたことを感謝します。神とキリストは、わたしたちの住まいです。キリストの死と復活を通して、キリストのからだの中で生きることができますように。
主の死と復活によって、わたしたちは神の中に、キリストのからだの中に場所を持っています
主の贖いは、わたしたちのために天に場所を用意することではありませんでした。主の贖いは、わたしたちのために神の中に場所を用意することでした。……この思想は最高の水準にあります。主はわたしたちを贖って、わたしたちを神の中へともたらし、わたしたちのために神の中に場所を用意されました。…… 全新約を通しての中心思想は、わたしたちが救われ再生された後、神の中に、またキリストの中にいるということです。神とキリストはわたしたちの住まいです。 ……主が場所を用意しておられたのは、わたしたちが神の中へと入り、主が彼の贖いによってわたしたちを神の中へともたらすためでした。彼の死と復活によって、彼はわたしたちを神の中へともたらされました。主を賛美します。わたしたち一人一人は神の中に場所を持っています! ……
主は、「再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える」と言われました(14:3)。これは、主がわたしたちをある場所に迎えるのではなく、わたしたちをご自身の中に迎えることを意味します。主が彼の弟子たちをご自身に迎えるとは、20節で「あなたがたがわたしの中におり」という言葉で述べられているように、彼らをご自身の中へと入れることです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第30編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り19日
(年二回の訓練(7月)第11週2日)
御父の家にある多くの住まいは、キリストのからだの多くの肢体です
Ⅰコリント3:16
あなたがたは神の宮であって、神の霊があなたがたの中に住んでおられることを、知らないのですか?
Ⅰコリント12:27
今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体なのです。
「御父の家とは、三一の神が(肉体と成ること、十字架、復活を通して)ご自身を信者たちの中へと造り込み、完全に彼らとミングリングされ、彼らを建造して一つの有機体とならせ、彼の住まい、また表現とすることです(ヨハネ14:2-3,23)。御父の家とは、手順を経て究極的に完成された神と、彼の贖われ、再生され、造り変えられた選びの民とで構成された、神性と人性の合併です(ヨハネ14:20)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは神の宮であって、神の霊がわたしたちの中に住んでおられることを感謝します。主よ、三一の神がわたしたちの中に造り込まれ、ミングリングされますように。そして、わたしたちが造り変えられて、神性と人性の合併である御父の家を享受することができますように。
主と御父が、彼を愛する者と共に住まいを造るのは、キリストのからだの建造です
御父の家には多くの住まいがあります(ヨハネ14:2)。2節にある「住まい(複数)」のギリシャ語は、23節で「住まい(単数)」と訳されているのと同じ言葉の複数形です。「住まい」は何を意味するのでしょうか? 多くの住まいはキリストのからだの多くの肢体であり(ローマ12:5)、キリストのからだは神の宮です(Ⅰコリント3:16-17)。主のからだには多くの肢体があり、それぞれの肢体は住まいです。多くの住まいがからだの多くの肢体であることは、ヨハネによる福音書第14章23節によって十分に証明されています。それは、主と御父が、彼を愛する者と共に住まいを造ると言っています。……わたしたちはみな神の建造における住まいです。この建造はキリストのからだであり、すべての住まいはキリストのからだの肢体です。……
ヨハネによる福音書第14章2節の「わたしは……行く」という言葉は、主が死と復活を通して行き、神の住まいの建造のために、人を神の中へもたらそうとしておられたことを意味します。これはマタイによる福音書第16章18節で述べられた召会の建造です。そこで主は「わたしの召会を建てる」と言われました。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ(2)」、第30編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り18日
(年二回の訓練(7月)第11週1日)
わたしたちは神の中へと信じ、それによって神の中へと入ります
ヨハネ14:1-2
あなたがたは心を騒がせてはならない.神の中へと信じ、またわたしの中へと信じなさい。わたしの父の家には多くの住まいがある.もしそうでなかったなら、わたしはあなたがたに話したであろう.あなたがたのために、場所を用意しに行くのである。
「ヨハネ第14章の中心思想は、わたしたちが神の中へと信じ、それによって神の中へと入らなければならないということです(ヨハネ14:1)。.神を信じることは客観的ですが、神の中へと信じることは主観的です。主観的に信じることは、わたしたちを神の中へともたらします。主の中へと信じることによって、わたしたちは彼の中へと入って彼と一になり、彼を享受し、彼がわたしたちのために完成したすべてにあずかります(ヨハネ3:15)。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが客観的に神を信じるだけでなく、主観的に神の中へと信じることができますように。主よ、わたしたちが主の中へと信じて、主と一になり、主がわたしたちのために完成したすべてを享受することができますように。
神の中へと信じることは主観的であり、彼の中へと入って彼と一になり、彼を享受します
ヨハネによる福音書第14章1節は、二つの非常に重要な点を啓示しています。第一は、主が神と同じであることです。人が神の中へと信じるなら、主の中へと信じなければなりません…… 第14章1節の第二の重要な点は、神を信じることは神の中へと信じることとは違うということです。……この章の基本的な思想は、主が弟子たちに、神の中にいるのを助けようと、あるいは教えようとしておられたということです。
わたしたちは、神を信じるのは客観的であり、神の中へと信じるのは主観的であることを、覚えていなければなりません。このように主観的な信じることが、わたしたちを神の中へもたらすのです。要するに、主は、「あなたがたが神の中へと信じるなら、わたしの中へとも信じなければならない」と言っておられたのです。「中へと(into)」という前置詞は非常に重要です。……わたしたちは前置詞を見落としてはなりません。それは事実を客観的に信じる事柄ではなく、主観的に信じる事柄であって、この事がわたしたちを神の中へもたらします。この章の中心思想は、わたしたちが神の中へと信じなければならないということです。(「ヨハネによる福音書ライフスタディ」、第29編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り16日
(年二回の訓練(7月)第10週6日)
今日、召会によって、御子を通して御父の栄光が現されます
ヨハネ17:5,22
父よ、世が存在する前に、わたしがあなたと共に持っていた栄光でもって、あなたご自身と共に、今わたしの栄光を現してください。…… あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです。
エペソ3:21
神に、召会の中で、またキリスト・イエスの中で、栄光がすべての世代に至るまで、永遠にわたってありますように。アーメン。
「三一の神の具体化として、御子キリストは御父の栄光を現すことです(ヨハネ17:1,5,22-23)。栄光を現すことは出現を意味します。栄光が現されることは出現することです。今日、召会によって御子の栄光が現され、御子において、また御子を通して御父の栄光が現されます(ヨハネ17:22.エペソ3:21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたち召会が再生され、聖別され、十字架につけられ、栄光の中のキリストに結合されたことを感謝します。御子と御父が一であるように、わたしたちも成就されて一となり、ヨハネ17章の祈りが実現しますように。
今日、召会時代にキリストの中で、召会の中で神の栄光が現されます
ヨハネによる福音書第14章から第16章の主のメッセージの主要な点は、御子において御父の栄光が現されるということです。肉体と成る前、キリストは神のひとり子として御父と共に栄光の中にいて、御父と共にこの栄光を享受していました。しかし、彼がこの栄光を持ったまま肉体と成ることを通して肉体を着られた時、この栄光は彼の肉体の中に隠されました……神聖な栄光、すなわち、神聖な命と性質の表現は、主の人性の中に閉じ込められ、隠されました。
今日どのようにして御子の栄光が現され、御子において、御子を通して御父の栄光が現されるのでしょうか? それは召会によってです。召会が再生され、聖別され、十字架につけられ、栄光の中のキリストに結合されたとき、神の御子が表現され、出現します。召会の一の中で神の御子の栄光は現され、その時、御子の中で、御子を通して御父の栄光が現されます。ですから、「あなたの子の栄光を現してください.それは、子があなたの栄光を現すためです」という祈りは、召会が再生され、聖別され、十字架につけられ、一の中で神の御子に結合される事柄を含み、またそのことにかかっています。キリストの中で、また召会時代に召会の中で、神の栄光が現されます(エペソ3:21)。(「新約の結論(17)」、メッセージ288)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り15日
(年二回の訓練(7月)第10週5日)
神聖な栄光における最も深い一は、三一の神の団体的な表現のためです
ヨハネ17:1
イエスは……言われた、「父よ、時が来ました.あなたの子の栄光を現してください.それは、子があなたの栄光を現すためです」。
ヨハネ17:22-23
あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです.わたしが彼らの中におり、あなたがわたしの中におられるのは、彼らが成就されて一となるためです.……
「主イエスは、わたしたちが最高の段階の一へと入るように祈りました。それは神聖な栄光における一であり、三一の神の団体的な表現のためです。「あなたがわたしに与えてくださった栄光を、わたしは彼らに与えました.それは、わたしたちが一であるように、彼らも一となるためです」(17:22)。これは信者たちの最も深い一、神の団体的な表現のための神聖な栄光における一です」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたち信者の一には再生、聖別、栄光化における一があることを感謝します。主よ、わたしたちが自己を否むことによって、成就されて一となりますように。わたしたちに与えられた神聖な栄光によって成就されて一となり、団体的に三一の神を表現することができますように。
信者たちの一には三つの根拠、段階があります。それは再生、聖別、栄光化です
[信者たちの]一の第一の根拠は再生、御父の命を受けることであり、第二の根拠は聖別、神以外のすべてのものから……神ご自身に分離されることです。……この一の第三の根拠はこれよりも深く、高いのです。それは神聖な栄光の出現の中にある一です。わたしたちは……この世から分離された後、自分を否むことを通して、わたしたちの内の栄光の望みであるわたしたちの命としてのキリストによって(コロサイ1:27)生きなければなりません。
信者たちの一には三つの根拠、段階があります。それは再生、聖別、栄光化です。再生によって神をわたしたちの父として持つことが第一段階です。聖なる言葉を通してこの世から分離されることによって、三一の神に来ることが第二段階です。自分自身を否むことを通して、神聖な栄光の命によって生きることが第三段階です。わたしたちは自分を否むことによって、成就されて一となるまでに、神聖な命を経験することができます。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り14日
(年二回の訓練(7月)第10週4日)
ヨハネによる福音書において、主イエスの栄光と栄光を現すことを見ます
ヨハネ1:14
……それは恵みと実際に満ちていた。わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった。
マタイ17:2
すると、イエスは彼らの前でかたちが変わり、彼の顔は太陽のように輝き、彼の衣は光のように白くなった。
「ヨハネによる福音書において、わたしたちは主イエスの栄光と栄光を現すことを見ることができます。「わたしたちは彼の栄光を見た.それは、父からのひとり子としての栄光であった」(ヨハネ1:14)。これは、山上でキリストのかたちが変わったことを指しています(マタイ17:1-2,5)。「イエスは……彼の栄光を現された」。すなわち、主の神性が現されました(ヨハネ2:11)。 イエスは、「人の子の栄光が現される時が来た」と言いました(23節)。人の子としてのイエスの栄光が現されることは、彼が復活させられることでした」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、あなたは恵みと実際に満ちて来られたことを感謝します。主よ、あなたは、山上でかたちが変わり、神性の栄光を弟子たちに現されました。今日、召会の中で復活の命がわたしたちを通して表現されますように。
主が山上で、主のかたちが変わることは、栄光が現されることでした
ヨハネは……ペテロとヤコブと共に、主が山上でかたちが変わった時、主の栄光を見ました[ヨハネ1:14]。主のかたちが変わることは、栄光が現されることでした。……キリストが人性の中で生きておられた時、山上で彼のかたちが変わったとき……一瞬、彼の弟子たちに彼の神性の栄光が現されました[マタイ17:2]。……
ペテロはペテロの第二の手紙第1章17節から18節でこれに言及しています。「彼が父なる神から誉れと栄光を受けられた時、厳かな栄光によって、次のような声が彼に発せられたからです.『これはわたしの子、わたしの愛する者、わたしは彼を喜ぶ』。わたしたちは聖なる山に彼と共にいた時、天から発せられたこの声を聞いたのです」。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第1編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り13日
(年二回の訓練(7月)第10週3日)
主は自分の栄光を求めないで、遣わされた方の栄光を求めました
ヨハネ7:18
自分から語る者は、自分の栄光を求める.しかし、遣わされた方の栄光を求める者は、真実であり、彼の中に不義はない。
マタイ25:31
しかし、人の子が彼の栄光の中で、またすべての御使いが彼と共に来る時、彼は彼の栄光の御座に着く。
「神の栄光は、キリストの肉体と成ること、人の生活、十字架、復活、昇天、再来、彼が新エルサレムでともし火であることと関係があります。主イエスは彼の生活と働きにおいて、ご自身の栄光を求めたのではなく、彼を遣わした方の栄光を求めました(ヨハネ7:18.8:50,54)。キリストの復活において、彼の栄光は現されました(ルカ24:26.ヨハネ7:39.17:5.使徒3:13.Ⅰペテロ1:21)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、あなたは生活と働きにおいて、ご自身の栄光を求めないで、遣わした方の栄光を求めました。主よ、わたしたちも制限された主の命を生きて、自分のためではなく、主の満足のために生きることができますように
主は制限された命を生き、神の満足のために神の栄光を求められました
主の栄光は、彼の神性の栄光(ヨハネ17:22、24)、彼の人性の栄光(詩45:3)、彼の復活の栄光(ヨハネ7:39.使徒3:13-15)、彼の昇天の栄光(ヘブル2:9)から成っています。(マタイ25:31、フットノート4)。 制限された命、自己のために事を行なうことを制限された命を生きた方として、主は神の満足のために神の栄光を求められました。……[ヨハネによる福音書第7章16節から18節で]わたしたちは、主がご自身の栄光を求められなかったことを見ます。ですから、彼は自分からは語られませんでした。むしろ、彼はご自分を遣わされた方の栄光を求められました。
主が神の満足のために神の栄光を求めた方であることは、彼が行なわれたことや彼の働きによるのではありません。それは彼が神のものであり、神に遣わされ、神から来て、神を語られたという事実によりました。……ヨハネによる福音書第7章は、彼が神によって制限された方であり、神のものであり、神に遣わされて神から来られ、ご自身の言葉を語らず、神を語られたことを啓示します。主が神の言葉を語られた時、神は彼の語りかけを通して表現されました。(リー全集、1982年、第2巻(上)、「ヨハネの文書における幕屋とささげ物の成就」、第21編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
(年二回の訓練(7月)第10週2日)
わたしたちの内にいますキリストは、栄光の望みです
コロサイ1:27
……あなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです。
ヘブル2:10
……方が、多くの子たちを栄光へ導き入れるのに、彼らの救いの創始者を、苦難を通して成就されるのは、彼にふさわしいことでした。
「すべてを含むキリストは、栄光の望みとしてわたしたちの中に住んでいます(コロサイ1:27.3:4,11)。わたしたちは主の栄光を見つめ、そして反映するとき、栄光から栄光へ、主のかたちへと徐々に造り変えられていきます(Ⅱコリント3:18)。神の有機的な救いの目標、またこの救いの最後の段階は、栄光、すなわちわたしたちの栄光化です(ヘブル2:10.ローマ8:17,21,30)」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちの内にいますキリストは、栄光の望みです。内住するキリストが、わたしたちの全存在に浸透して、わたしたちを栄光から栄光へ、主のかたちへと徐々に造り変えてくださいますように。
主はわたしたちの贖われ変貌した体において栄光を現されます
キリストがわたしたちの栄光の望みとなることができるのは、彼がわたしたちの霊の中に住んで、わたしたちの命とパースンとなっておられるからです。コロサイ人への手紙第3章4節によれば、わたしたちの命なるキリストが現される時、わたしたちも彼と共に栄光のうちに現されるでしょう。彼は現れて、わたしたちの贖われ変貌した体において栄光が現されるでしょう(ローマ8:23.ピリピ3:21.Ⅱテサロニケ1:10)。キリストが来られる時、わたしたちは彼において栄光化され、わたしたちにおいて彼の栄光が現されるでしょう。これは、内住するキリストが、わたしたちの体を含む全存在に浸透されることを示します。……
コロサイ人への手紙第1章27節は、わたしたちが栄光化されるその栄光が、今やわたしたちのただ中に住んでいることを示します。この栄光は物ではありません。この栄光は生けるパースン、すなわち内住するキリスト、手順を経た三一の神のすべてを含む具体化です。このキリストは今や、わたしたちの中にある栄光の種です。……最終的に、この種の成長は、信者たちの栄光化の「開花」という結果になります。(「新約の結論(11)」、メッセージ180)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り11日
(年二回の訓練(7月)第10週1日)
三一の神は栄光の神です
ローマ3:23-25
なぜなら、すべての人は罪を犯したので、神の栄光に欠けており、無代価で、彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通して、義とされるからです.神はこのキリスト・イエスを立てて、なだめの場所とされました.それは彼の血により、信仰を通してであって、彼の義を明らかに示すためです.……
「栄光は神の一つの属性です。栄光は神の表現、すなわち光輝において表現された神です(出40:34.使徒7:55.Ⅱペテロ1:3.啓21:11)。三一の神は栄光の神です(使徒7:2.エペソ1:17.3:14,16.Ⅰコリント2:8.Ⅱコリント4:6.Ⅰペテロ4:14)。神の永遠の目標は、彼の多くの子たちを栄光へもたらすことです(ヘブル2:10.Ⅰコリント2:7.エペソ1:5-6,12,14)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 人が神によって神のかたちに造られたことを感謝します。主よ、わたしたち人を、神の栄光のために神を表現する者へと造り変えてください。
神の永遠の目標は、彼の多くの子たちを栄光へもたらすことです
人が神によって神のかたちに造られたのは、人が神の栄光のために神を表現するためです。しかし人は罪を犯して、神の聖と義に相反しました。人は神を表現するどころか、罪と罪深い自己を表現します。ですから、人は神の栄光に欠けています。神の栄光と表現に欠けていることが罪です。罪人は、神の聖と義の要求の下にあるだけでなく、神の栄光の要求の下にもあります。すべての人は神の聖であることに違犯し、神の義の律法を破り、すべて神の栄光に欠けています。ですから、すべての人は神の罪定めの下にあります。(ローマ3:23、フットノート1)
一つの神の驚くべき属性は栄光です。……使徒行伝第7章55節は言います、「ステパノは……天を一心に見つめていると、神の栄光……を見た」。栄光は神の表現であり、光輝において表現された神です。神の栄光はアブラハムにとって大きな引き寄せであり、彼をこの世から神へと分離しました[参照、2節]。神の栄光はまた大きな励ましと力であり、アブラハムが神に従うことができるようにしました(創12:1、4)。(「新約の結論(1)」、メッセージ11)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
11月の祈り9日
(年二回の訓練(7月)第9週6日)
一粒の麦としてのキリストから生み出された宇宙的な合併の三つの面
ヨハネ14:23
イエスは彼に答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、わたしの言を守る.そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行って、彼と共に住まいを造る」。
「キリストの復活の中で、手順を経た三一の神と再生された信者たちとの拡大された、神性と人性の、宇宙的な合併が、変貌した一粒の麦としてのキリストから生み出された三つの面:① 第一の面は御父の家であり、御父の安息、満足、現れのためです(ヨハネ14:2)。② 第二の面はまことのぶどうの木であり、神の拡大、広がり、栄光を現すことのためです(ヨハネ15:1-8,16)。③ 第三の面はその霊の子供、新しい人であり、神の永遠のエコノミーを完成します(ヨハネ16:13-16,19-22)」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストの復活の中で、手順を経た三一の神と再生された信者たちとの宇宙的な合併があることを感謝します。主よ、わたしたちが御父の家としての相互の住まい、まことのぶどうの木、その霊の子供、新しい人についてのビジョンを見て経験し、享受することができますように。
御父の家は、三一の神と彼の選びの民との相互の住まいです
御父の家は、御父と御子、そして贖われた選びの民に内住するその霊が、贖われた選びの民に絶えず訪れることによって建造され、究極的に完成された三一の神と彼の贖われた選びの民との相互の住まいとなります。……ヨハネによる福音書第14章2節は、御父の家には多くの住まいがあると告げており、23節でわたしたちは、これらの住まいは御父と御子が彼を愛する者たちに臨むことによって建造されることを見ます。その霊は……[23節で]暗示されています。なぜならその霊は、主イエスを愛するすべての者の再生された霊に内住しているからです。
わたしたちは家に、学校に、職場にいても、わたしたちがどこにいても、御父と御子は来て訪れ、わたしたちの中で建造する働きを行ない、住まいを造られます。それは、三一の神とわたしたちとの相互の住まいとなるでしょう。これが、三一の神が絶えず訪れることを通しての御父の家の建造です。(リー全集、1994年―1997年、第5巻(下)、「御父により神聖な栄光をもってキリストの栄光が現されたことの結果」、第4編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
2024年 1月1日
朝の祈りの集会
わたしは神の祭壇に、わたしの歓喜と喜びである神に行きます
2024年1月1日午前7時から祈りの集会で、わたしたちは詩編第43篇3節-4節の言葉を祈り読みをして、詩歌285を歌い、また家族の救いなどを祈り、享受しました。祈りと共に新しい年を開始できたことを感謝します。
詩歌285
高き山の上でただ主を見たし、天のみこえを聞き、新鮮な空気を吸う
さらに高嶺へと導きたまえ、霊のいずみ飲みて、さらに主享受す
詩篇第43篇3節-4節
3 あなたの光とあなたの真理を送ってください.それらはわたしを導きます.それらはわたしを、あなたの聖なる山に、あなたの幕屋に連れて行きます。4 わたしは神の祭壇に、わたしの歓喜と喜びである神に行きます.神よ、わが神よ、わたしは竪琴をもってあなたをほめたたえます。
詩篇43篇3節、4節フットノート
3-1 光と真理(実際)は分離されたものではなく、一つのものの二つの面です。真理は光の輝きであり、光は真理の源です(Ⅰヨハネ1:5-6と6節のフットノート6、最後の段落)。光がわたしたちの上に輝くと、わたしたちは真理、実際を受けます。わたしたちは交わりの中で神に行くと、光の中にいます。この節によれば、神聖な光と神聖な真理は神の捕囚の聖徒たちを、神の聖なる山と彼の幕屋に導きます。幕屋は諸地方召会を予表します。光と真理は召会の中にあります(Ⅰテモテ3:15)。
4-1 詩第42篇から第44篇を書いた詩篇の作者は、捕囚の中で神を愛する者でした(42:6)。彼らは神を慕いあえぎ、神に渇き(42:1-2)、エルサレムに戻りシオンの山に行って祭壇に到達することを願いました。こうして、彼らは宮の中に入って、彼らの歓喜と喜びである神に会うことができました。こういうわけで彼らは、神が彼らに光と真理を与えてくださり(3節)、どのようにして捕囚から解放され、神の住まいに戻るかを知るようにと祈ったのです。
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
千葉に在る教会は、コロナの流行により集会参加の際に、注意していただきたい点を掲載してまいりました。しかし政府により、この感染症に対する警戒ランクが引き下げられました。したがって集会時の、注意及び要望を解除いたします。しかし通常のインフルエンザ等における程度の対応は、各自の責任においてお願いします。なお、引き続きZoomを用いて、リモートで集会にあずかることは可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。
今後、集会の変更があった時は、LINE,ホームページ等でお知らせします。主イエス・キリストから恵みと平安が、みなさま一同と共にありますように。