4月の祈り2日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第4週第3日
キリストは十字架につけられ、霊の岩となり、命の水を供給します
Ⅰコリント10:4
みな同じ霊の飲み物を飲みました.すなわち彼らは、彼らについて来た霊の岩から飲んだのです.そしてその岩はキリストです。
民20:8
杖を取り、集団を集め、……彼らの目の前で岩に語って、水を出させなさい。こうしてあなたは、彼らのために岩から水を出させ、集団と家畜に飲むものを与えなければならない。
「キリストは十字架につけられ、ご自身の民について来る霊の岩となりました。このついて来る岩は、命を与える霊としての復活したキリストです。彼は常に召会と共にいて、命の水を彼の信者たちに供給します(Ⅰコリント10:4.出17:6.民20:8.ヨハネ19:34)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 十字架につけられたキリストから生ける水が流れ出たことを感謝します。主よ、わたしたちが日ごとに復活したキリストから流れ出たその霊を飲むことができますように。
わたしたちはみな同じ霊の飲み物を飲みます
霊の岩としてのキリストは、信者たちについて来て、彼らに霊の飲み物を与えました。コリント人への第一の手紙第10章4節の霊の飲み物は、さかれた岩から流れ出た生ける水を指しており(出17:6)、それは、わたしたちのすべてを含む飲み物としての十字架につけられ、復活したキリストから流れ出たその霊を予表します(ヨハネ7:37-39.Ⅰコリント12:13)。キリストの十字架において、生ける霊の岩であるキリストは神の律法の権威によって打たれました。それは復活の中で、命の水が彼から彼の贖われた民の中へと流れ込んで、彼らが飲むためでした。……わたしたちはみな同じ霊の飲み物を飲むべきであり、すべてを含む霊以外の何も飲むべきではありません。
肉体と成ることを通して、キリストは岩として地に来られました。十字架で彼は神の義なる律法の権威によって打たれ、神の贖いを達成されました。彼の脇は刺し通され、生ける水は神の民が飲むために流れ出ました(ヨハネ19:34)。この生ける水は復活における命の水、三一の神の究極的な結果であるすべてを含む命を与える霊です。(「新約の結論(19)」、メッセージ310)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
4月の祈り1日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第4週第2日
キリストはわたしたちの唯一の霊の食物(日ごとのマナ)です
Ⅱコリント3:6
神は……わたしたちを新しい契約の奉仕者として、資格づけてくださいました.それは、文字ではなく、霊の奉仕者です.なぜなら、文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与えるからです。
「わたしたちが継続的にキリストを享受するとき、わたしたちの唯一の食物(わたしたちの日ごとのマナ)としてのキリストの特徴は、新陳代謝的な造り変えを通して、わたしたちの特徴となり、キリストを大きく表現します(ヨハネ6:57.ピリピ1:20-21.参照、ガラテヤ6:17)」。
主イエスよ、あなたを愛します。あなたはわたしたちの霊の食物、日ごとのマナであることを感謝します。毎朝わたしたちは天からのマナであるキリストを食べて、新しい開始を持つことができますように。そして、わたしたちが新陳代謝的な造り変えを通して、主が大きく表現されますように。
天的なマナであるキリストは、毎日わたしたちに新しい開始を与えます
1.マナは奥義です(出16:15.コロサイ2:2)。2.マナは長期間にわたる奇跡です(出16:4.参照、マタイ6:34)。3.マナは天からです(出16:4.ヨハネ6:41)。4.マナは露と共に来ます(出16:13-14.民11:9.詩133:3)。5.マナは朝に来ます(出16:21.参照、雅1:6後半)。6.マナは小さいです(出16:14.ルカ2:12)。7.マナは細かいです(出16:14.ヨハネ6:12)。8.マナは丸いです(出16:14.ヨハネ8:58)。9.マナは白いです(出16:31.詩12:6)。10.マナは霜のようです(出16:14.箴17:27)。11.マナはコエンドロの種のようです(出16:31.民11:7.ルカ8:11)。12.マナは固いです(民11:8.Ⅱコリント1:4)。13.マナの外観はブドラクのようです(民11:7.啓4:6)。14.マナの味は新鮮な油のようです(民11:8.詩92:10)。15.マナの味は蜜を入れて作られた極薄のパンのようです(出16:31.詩119:103)。16.マナは輪型の平らなパンを作るのに適しています(民11:8.Ⅰテモテ4:6)。
出エジプト記第16章と民数記第11章でマナの簡単な記述が与えられています。……うずらは夕方に来ましたが、マナは朝、送られました[出16:21]。……マナが朝来たという事実は、それがわたしたちに新しい開始を与えることを示しています。……もし神が年ごとにマナを送られるなら、わたしたちは生存することができないでしょう。……主に感謝します。彼はマナを日ごとに送られます。毎朝わたしたちは新しい開始を持つことができます。(「出エジプト記ライフスタディ(2)」、第36編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り31日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第4週第1日
わたしたちの霊の食物、真のマナであるキリストを食物とします
Ⅰコリント10:3
そして、みな同じ霊の食物を食べ、
ヨハネ6:31
わたしたちの父祖は荒野でマナを食べました.「神は彼らに天からパンを与えて食べさせられた」と書かれているとおりです。
「出エジプト記第16章の深遠な真理とは、神がわたしたちの食事を変えて、わたしたちに、父なる神によって送られたわたしたちの霊の食物、真のマナであるキリストを食物とするようにさせたいということです。それは、神の選ばれた民がキリストによって生きるためです(Ⅰコリント10:3.ヨハネ6:31-35,48-51,57-58)。わたしたちがキリストから食べて、わたしたちの再構成する要素、供給となり、わたしたちをこの宇宙における神の住まいとならせるものは何であれ、永遠の記念となります(出16:16,32)」。
主イエスよ、あなたを愛します。キリストがわたしたちの霊の食物、真のマナであることを感謝します。命のパン、天から下って来た生けるパンである主を食べて、わたしたちの構成が変えられますように。永遠の記念となるのにふさわしいのは、わたしたちの構成となられたキリストだけであることを覚えさせてください。
神はわたしたちの食事を変えて、キリストで再構成することを願っています
出エジプト記第16章は……わたしたちの存在の源を変え、わたしたちの構成要素そのものを変える神の意図を啓示しています。マナはキリストを予表する天的な食物であると単に言うだけでは、この章の浅薄な理解にすぎません。……わたしたちが伝統的な教えから転向してこの章の上で祈るなら、照らされ、信者として、キリストだけを食べて生きるべきであることを見るでしょう。わたしたちの多くは宗教の中にいたとき、マナとしてのキリストについて教えを聞きました。しかしそれはわたしたちにどのように影響したでしょうか?……ある人たちは、この世を愛さないことについて浅薄な教えを受けてきました。彼らはエジプトのきゅうりやにんにくに飢えないようにと告げられました。何と浅薄でしょう!
出エジプト記第16章の深い真理は、神がわたしたちの食事を変えることを願っておられることです。ここでの極めて重要な点は、わたしたちがこの世を愛するかどうかではなく、わたしたちの食事が変えられたかどうかです。(「出エジプト記ライフスタディ(2)」、第36編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り29日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第3週第6日
わたしたちの体の贖いは、わたしたちの子たる身分の完全な享受です
ローマ8:23
……その霊の初穂を持つわたしたち自身も、自らの内でうめきながら、子たる身分、すなわち、わたしたちの体の贖いを、熱心に待ち望んでいるのです。
ピリピ3:21
キリストは、万物を彼ご自身に服従させることができる彼の活動によって、わたしたちの卑しい体をも変貌させ、それを彼の栄光の体に同形化してくださいます。
「キリストはわたしたちの贖い(わたしたちの将来のため)、すなわち、わたしたちの体の贖いです(8:23)。それによって、わたしたちの体は、彼の神聖な命をもって変貌させられ、彼の栄光の様を持つようになります(ピリピ3:21)」。
主よ、あなたを愛します。主よ、あなたがわたしたちの力、知恵、義、聖別、贖いであることを感謝します。主よ、日常生活のあらゆることで、主に向きを変え、主から絶え間のない伝達を享受することによって、魂が造り変えられますように。そして、わたしたちの卑しい体をも変貌させ、主の栄光の体に同形化してくださいますように。
キリストをわたしたちの力、知恵、義、聖別、贖いとして享受します
贖いとしてのキリストはわたしたちの将来を顧みます。義としてのキリストは、わたしたちがキリストを信じ、彼の中で義とされたとき、わたしたちの霊の中で再生され、わたしたちを救いました。聖別としてのキリストは、今やわたしたちの魂を造り変えつつあります。…… 将来わたしたちの体はキリストの中で贖われます。すなわち、キリストがわたしたちの贖いとなられるのです。ある日、わたしたちの体は変貌させられ、キリストによって所有された同じ栄光の体になるでしょう(ピリピ3:21)。これがわたしたちの体の贖い、わたしたちの子たる身分の完全な享受です(ローマ8:23)。……
贖いは三つの事柄を含みます。すなわち、神へと連れ戻され、終結させられ、置き換えられることです。… 第一に、キリストをわたしたちの分け前として享受するとき、わたしたちはキリストを贖いとして経験し、神へと連れ戻されます。… 第二に、贖いは終結をも含みます。わたしたちの中に住み、供給し、わたしたちの養いとなられるキリストはまた、わたしたちを終結させます。… 第三に、贖いはキリストによって置き換えられることをも含みます。キリストがわたしたちを終結させるとき、彼はわたしたちをご自身で置き換えられます。… 将来、わたしたちの体の贖いは体の変貌となりますが、今日わたしたちは内なる存在を変貌させる方としてのキリストを経験します。(「新約の結論(19)」、メッセージ307)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り28日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第3週第5日
キリストはわたしたちの義であり、聖別です
Ⅰコリント1:30
しかし、あなたがたがキリスト・イエスの中にあるのは、神によるのです.このキリスト・イエスは、神からわたしたちに与えられた知恵、すなわち、義と聖別と贖いとなられました。
「キリストは、神からわたしたちに与えられた知恵、すなわち、神の救いにおける三つの極めて重要なものとなりました。キリストはわたしたちの義です(わたしたちの過去のため)。それによって、わたしたちは神によって義とされ、わたしたちが霊の中で再び生まれて、神聖な命を得るためです(ローマ5:18)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 キリストがわたしたちの義と聖別と贖いとなられたことを感謝します。キリストの中で、わたしたちは神によって義とされたことを感謝します。わたしたちの日常生活において、霊を活用して主に触れ、主の中で義とされますように。
キリストはわたしたちの客観的な義であり、また主観的な義です
義としてのキリストはわたしたちの過去を顧みてくださいます。過去において、わたしたちは不義であって、常に不正に事を行なっていました。今やキリストはわたしたちの義としてわたしたちの中へと伝達されて、わたしたちの過去を顧みてくださいます。それは彼の中でわたしたちが神によって受け入れられるためです。…… わたしたちの客観的な義としてキリストは、彼の中でわたしたちが神によって義とされる方です[ローマ3:26]。義認は神の義の水準にしたがって、わたしたちを承認する神の行動です。……
わたしたちの主観的な義としてのキリストは、わたしたちの中に住んでおられる方であり、わたしたちが神によって義とされることができる生活、また神に常に受け入れられる生活をするためです(ピリピ3:9)。わたしたちがこのキリストを生き、キリストを表現するとき、主はわたしたちの日ごとの義となられます。わたしたちは信者として、キリストをわたしたちの義として受けるだけでなく、彼を主観的に義として生きる必要もあります。わたしたちの霊を活用して主に触れるとき、わたしたちは義となります。わたしたちが主に触れ、主を享受すればするほど、わたしたちはさらに主の中で義とされます。最終的に、わたしたちの中へとキリストを造り込んでいただくことによって、わたしたちはキリストの中で神の義となるのです(Ⅱコリント5:21)。 (「新約の結論(19)」、メッセージ307)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り27日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第3週第4日
日常生活の中で、知恵としてのキリストを適用します
Ⅰコリント1:2
コリントに在る神の召会へ、すなわち、キリスト・イエスの中で聖別された者たち、召された聖徒たち、それと共に、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての者へ.……
ピリピ4:13
わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、いっさいの事柄を行なうことができるのです。
「わたしたちは神によって召された者たちとして、キリストの力と知恵を認識し経験する必要があります(Ⅰコリント1:24)。Ⅰコリント第1章2節は、「召された聖徒たち」に言及しています。「召されている者」(Ⅰコリント1:24)とは、永遠において神によって選ばれ(エペソ1:4)、時間においてキリストを信じた(使徒13:48)信者たちを指しています」。
主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちは召されている者、永遠において神によって選ばれ、時間においてキリストを信じた信者たちです。主の御名を呼び求める者には、キリストは神の力、また神の知恵であることを感謝します。わたしたちの知恵としてのキリストを適用することができますように。
キリストはわたしたちの経験において、現在の実際的な知恵となります
神の知恵としてのキリストは、絶えず神からわたしたちへと流れて、わたしたちの経験においてわたしたちの現在の実際的な知恵となります。わたしたちは何か問題に直面し、対処する方法がわからないことを認識するとき、キリストをわたしたちの知恵として適用すべきです。わたしたちが主と共にとどまり、彼の分与を受けるなら、彼はあらゆる種類の問題や事柄を対処する知恵としてわたしたちの中に伝達されます。これはわたしたちの日常生活の中で知恵としてのキリストを適用することです。……
わたしたちに知恵があるなら、わたしたちは物事を行なう正しい方法を知るでしょう。しかし、わたしたちが知恵を持っていないなら、わたしたちが物事を行なう方法は愚かなものでしょう。……信者にとって知恵であるキリストは、実は神聖な道です。このゆえに、コリント人への第一の手紙第1章30節の知恵は、ヨハネによる福音書第14章6節の道と等しいのです。この節で主イエスは、「わたしは道であり」と言います。神の道は彼の知恵です。キリストを享受し、彼にあずかるなら、わたしたちは彼をわたしたちの知恵、わたしたちの道として持つでしょう。この知恵はわたしたちがキリストを享受することから来ます。(「新約の結論(19)」、メッセージ307)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り26日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第3週第3日
十字架につけられたキリストを経験するとき、神の知恵ともなります
エペソ1:9
みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださいました.これは、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びによるもので、
コロサイ1:9
こういうわけで、わたしたちもこの事を聞いた日から、あなたがたのために絶えず祈り、そして願い求めています.どうかあなたがたが、あらゆる霊的知恵と理解力において、神のみこころを知る全き知識で満たされ、
「わたしたちが十字架につけられたキリストを経験するとき、彼はわたしたちに対して神の力となるだけでなく、神の知恵ともなります(ローマ6:6.ガラテヤ2:20)。わたしたちは十字架につけられたキリストを経験するとき、終結させられます(ガラテヤ2:20)。わたしたちが主イエスの御名を呼び求めて、主を経験し享受しているとき、彼の十字架はわたしたちを終結させます」。
主イエスよ、あなたを愛します。主よ、十字架につけられたキリスト、みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださっていることを感謝します。主よ、わたしたちが十字架につけられたキリストを経験して、わたしたちであるすべてが終結させられ、神のご計画が成就されますように。
十字架につけられたキリストは、みこころを成就する神の深遠なご計画と関係があります
エペソ人への手紙第1章9節は、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びについて語っています。エペソ人への手紙第3章11節でパウロは、「神がわたしたちの主キリスト・イエスの中で立てられた、永遠の定められた御旨」に言及しています。さらに、エペソ人への手紙第1章11節でパウロは、神が「みこころの熟慮にしたがってすべての事柄を行なう」と言います。神の知恵としての十字架につけられたキリストは、神の大いなる喜びにしたがった、またみこころを成就する神の方法にしたがった神のご計画と関係があります。神の大いなる喜びにしたがった神のご計画と、みこころを成就する神の方法は、深くて深遠です。それにもかかわらず、これらの深遠な事柄は、わたしたちの経験に適用されることができます。……
わたしたちが十字架につけられたキリストを経験するとき、彼はわたしたちに対して神の力となるだけでなく、神の知恵ともなります。わたしたちは神の知恵としての十字架につけられたキリストを持っているので、神のみこころを遂行する方法を尋ね求める必要はありません。わたしたちは十字架につけられたキリストを経験することによってのみ、神のみこころを行なう方法を自然に持ちます。わたしたちは神のみこころを行なう知恵を持つようになります。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第8編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り25日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第3週第2日
キリストの十字架において、わたしたちは神の力を見ます
ガラテヤ2:20
わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.キリストがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるのです。
「十字架につけられたキリストは、神の力です(Ⅰコリント1:24)。キリストの十字架において、わたしたちは神の力を見ます。キリストの死、すなわち、キリストが十字架につけられることは、神の力となりました(24節)。十字架につけられたキリストは、神の知恵です(Ⅰコリント2:7)。わたしたちは何を達成するにも、力また知恵としてのキリストを必要とします(1:24)」。
主イエスよ、あなたを愛します。十字架の力、キリストのすばらしい死の力を賛美します。わたしはキリストと共に十字架につけられ、キリストがわたしの中に生きておられることを感謝します。わたしたちの中の肉、自己、天然の命が日々終わらされる経験をすることができますように。
十字架につけられたキリストは、また神の知恵です
キリストの十字架において、わたしたちは神の力を見ます。サタン、この世、罪、堕落した人、肉、天然の命、旧創造、規定を打ち破るためには、神の力が必要です。……この力は、神が創造において行使された力のような、語ることによって事を行なうものではありません。むしろ、それは十字架の力、キリストのすばらしい死の力です。……キリストの死は神の力となって、サタンを滅ぼし、この世の問題を解決し、罪を除き去り、堕落した人、肉、天然の命、旧創造を終結させました。……一つの死、キリストの死によって、宇宙のすべての問題は一掃されました。ですから、十字架につけられたキリストは、すべての消極的なものを滅ぼし、神のご計画を遂行するための神の力です。……
この十字架につけられたキリストは、また神の知恵です。わたしたちは何を達成するにも、力と知恵の両方を必要とします。……知恵は計画し決定するためですが、力は計画され決定したものを遂行し達成するためです。……わたしたちは知恵がなくて力を持つなら、愚かな方法で自分の力を使うかもしれません。ですから、わたしたちは力と知恵の両方であるキリストを必要とするのです。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第8編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り24日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第3週第1日
十字架につけられたキリストは、神の力また神の知恵です
Ⅰコリント1:23-24
しかし、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます.彼はユダヤ人にはつまずきの石であり、異邦人には愚かでありますが、召されている者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリストは神の力、また神の知恵です。
「パウロは、Ⅰコリント第1章24節でキリストを神の力また神の知恵として言及する前に、23節で次のように宣言しています、「わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます.彼はユダヤ人にはつまずきの石であり、異邦人には愚かであります」。
主イエスよ、あなたを愛します。 キリストは神の力また神の知恵でであることを感謝します。十字架につけられたキリスト、ご自身を救うためには何も行なわなかったキリストを賛美します。主よ、わたしたちが 十字架につけられたキリストを神の力また神の知恵として、経験し、享受することができますように。
宇宙のすべての問題が解決されるために、キリストは十字架につけられました
神のエコノミーを遂行するために神の力また神の知恵であるキリストは、十字架につけられたキリスト、すなわち、ご自身を救うためには何も行なわなかったキリストです。人の目には、もし人が十字架につけられるなら、彼は無力であると見なされます。なぜなら、力強い人は自分が十字架につけられることを許そうとしないからです。しかし、神の力であるキリストは十字架につけられました。さらに、人の見方によれば、知恵ある人は十字架を避ける方法を見いだします。しかし、神の知恵であるキリストは、十字架につけられました。(「新約の結論(19)」、メッセージ307)
宇宙には多くの種類の問題があります。サタン、この世、罪の問題があります。また人の問題もあります。神によって彼の目的のために創造された人は、堕落して罪深くなりました。人に関する他の問題は肉と天然の命です。それに加えて、宇宙にあるすべてのものは古くなりました。…… これらすべての問題に加えて、人が生きるために神によって与えられた規定と規則の問題があります。ですから、十字架はサタン、この世、罪、人、肉、天然の命、古さ、規定の問題を取り扱います。これらの問題が解決されるために、キリストが十字架につけられる必要がありました。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(1)」、第8編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り22日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第2週第6日
すべての苦難において、わたしたちは勝ち得て余りがあります
ローマ8:37-39
しかし、これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります。なぜなら、死も、命も、天使たちも、支配たちも、現在の事柄も、来たるべき事柄も、力も、高いものも、深いものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないと、わたしは確信するからです。
「すべての苦難において、わたしたちを愛してくださったキリストを通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります(ローマ8:37)。わたしたちに対する神の不変の愛と、キリストがわたしたちのためにすべてを成就されたという事実のゆえに、患難も迫害も、わたしたちを圧迫することはできず、わたしたちを打ち破ることはできません。むしろ、これらすべての事柄において、わたしたちを愛してくださった方を通して、わたしたちは勝ち得て余りがあります」。
主イエスよ、あなたを愛します。神の愛が神の永遠の救いの源であることを感謝します。何ものも、わたしたちをこのキリスト・イエスにある神の愛から引き離すことはできません。わたしたちは、あらゆる患難や災いにおいて勝ち得て余りがあります。主よ、あなたは永遠の、引き離すことのできない愛をもって、わたしたちを永遠に愛してくださることを賛美します。
主キリスト・イエスにある神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません
神の愛が彼の永遠の救いの源です。この愛はキリストの中にあり、聖霊を通して、わたしたちの心の中に注がれています(ローマ5:5)。何ものも、わたしたちをこの神の愛から引き離すことはできません。神の救いにおいて、わたしたちに対するこの愛はキリストの愛となりました。この愛は、神の全体的な救いがわたしたちの中で完成されるまで、キリストの恵みを通して、わたしたちのために多くの驚くべき事をします。これらの驚くべき事は、神の敵があらゆる種類の苦難や災いを用いてわたしたちを攻撃することを引き起こします(8:35-36)。しかしながら、これらの攻撃は、キリストにある神の愛に対するわたしたちの応答のゆえに、わたしたちの益となります(28節)。ですから、わたしたちは、あらゆる患難や災いにおいて勝ち得て余りがあるのです(37節)。
わたしたちは神の愛する者たちであり、何ものも彼の愛からわたしたちを引き離すことはできません。いったん神がわたしたちを愛するなら、彼は永遠の、引き離すことのできない愛をもって、わたしたちを永遠に愛されます。ですから、神の救いは彼の愛によって保証されています。(「新約の結論(18)」、メッセージ302)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り21日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第2週第5日
キリストは、わたしたちを勝ち得て余りがあるようにする方です
ローマ8:31-32,34
……もし神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵対し得るでしょうか? ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべてのために御子を渡された方が、どうして彼と共に、万物を無代価でわたしたちに賜わらないことがあるでしょうか?……34 だれが罪に定めるのですか? キリスト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられます。
「わたしたちはキリストを、わたしたちを勝ち得て余りがあるようにする方として経験し、享受し、表現することができます(ローマ8:37)。わたしたちは神を愛し、キリストの愛によって押し迫られ、拘束され、動機づけられ、強いられ、かき立てられ、推進されて、すべての事柄において勝ち得て余りがあることができます(31-39節)」。
主イエスよ、あなたを愛します。主は復活させられた後、神の右でわたしたちのためにとりなしておられることを感謝します。わたしたちが主のかたちに同形化され、主の栄光の中へともたらされるように、とりなしてくださることを感謝します。
キリスト・イエスは死んで復活させられ、わたしたちのためにとりなしておられます
ローマ人への手紙第8章32節から39節は、わたしたちを勝ち得て余りがあるようにさせる方としてのキリストを提示しています。32節は言います、「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべてのために御子を渡された方が、どうして彼と共に、万物を無代価でわたしたちに賜わらないことがあるでしょうか?」。この節は、神がキリストと共に、万物を無代価でわたしたちに賜わることを示しています。
34節は続けて言います、「だれが罪に定めるのですか? キリスト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で、わたしたちのためにとりなしておられます」。キリストはわたしたちのために死なれ……復活させられた後、神の右でわたしたちのためにとりなしておられます。この節は、今日キリストは天で神の右におられることを述べています。しかしながら10節は、彼が今、わたしたちの中に、わたしたちの霊の中におられることを述べています(Ⅱテモテ4:22)。その霊として(Ⅱコリント3:17)、彼は遍在しており、神の右にもわたしたちの霊の中にも、天にも地にもおられるのです。(「新約の結論」、メッセージ318、302)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り20日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第2週第4日
命の霊の法則に「スイッチを入れる」七つの項目を実行します
ローマ8:13-16
……その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。なぜなら、神の霊によって導かれている者はみな、神の子たちであるからです。あなたがたは……子たる身分の霊を受けたのであり、この霊の中で、わたしたちは「アバ、父よ!」と叫ぶのです。その霊ご自身、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子供たちであることを、証ししてくださいます。
「命の霊の法則は、あらゆる人を解放するのではありません。今日、多くのクリスチャンは解放されていません。命の霊の法則は、この章にあるすべての行ない[七項目]を果たす信者だけを解放するのです(リー全集、1980年、第1巻(下)、「成就する訓練」、第31編)」。
主イエスよ、あなたを愛します。命の霊の法則を感謝します。スイッチを入れる七つの項目を経験し、享受することができますように。とりなす霊がわたしたちを御子のかたちに同形化しようと祈ってくださることを感謝します。
命の霊の法則にスイッチを入れる七つの項目
[ローマ人への手紙第8章においてわたしたちの側で行なうことの]第一の点は、わたしたちが霊にしたがって歩かなければならないことです[4節]。… わたしたちが霊にしたがって歩く時、わたしたちはスイッチを入れるのです。すると、その法則が働くのです。命の霊の法則は、わたしたちが霊にしたがって歩くまで決して働きません。第二の点は、わたしたちがその霊の事柄を思う必要があるということです[5節]。わたしたちの行なう第三の項目は、わたしたちの死ぬべき体の行ないを死に渡すことです(13節)。第四の項目は、神の霊によって導かれることです(14節)。… それは、その霊があなたを導くことではなく、あなたがその霊によって導かれていることです。
15節に第五の項目があります。あなたは叫ばなければなりません。… わたしたちは子たる身分の霊を持っており、この霊の中で、わたしたちは「アバ、父よ!」と叫ぶのです。叫ぶことはスイッチを入れることです。 [第六の項目]16節がその霊がわたしたちの霊と共に証しすると言うとき……わたしたちの霊が証ししているとき、その霊はわたしたちの霊と共に証しするのです。……ここでの主要な強調は、わたしたちの霊が率先しなければならないということです。 23節は[第七]の項目を与えます。あなたはうめくことがスイッチを入れることであることをかつて認識したことがありますか? わたしたちはみなうめくことを学ばなければなりません。これらはローマ人への手紙第8章から見いだすことのできる、行なうべき七つの項目です。… あなたはこれら七つの事柄を行なわなければなりません。毎日これらを実行することに努めなさい。(リー全集、1980年、第1巻(下)、「成就する訓練」、第31、26編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り19日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第2週第3日
命の霊の法則として活動する三一の神と協力するために「スイッチを入れ」ます
ローマ8:4-6
それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがって歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。なぜなら、肉にしたがっている者は、肉の事柄を思い、霊にしたがっている者は、その霊の事柄を思うからです。肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。
「わたしたちは、命の霊の法則として内側で活動する三一の神と協力することができます。それは、以下の方法でこの法則に「スイッチを入れる」ことによってです。わたしたちは霊にしたがって歩く、すなわち霊の中で生きる必要があります(ローマ8:4.参照、詩23:3)」。
主イエスよ、あなたを愛します。 主よ、命の霊の法則として内側で活動する三一の神に協力することができますように。 命の霊の法則が活動するための七つの条件を実行して、スイッチを入れることができますように。 霊にしたがって歩くこと、思いを霊の事柄に付けること、体の行ないをすべて死に渡すこと、その霊によって導かれること、アバ父よ!と叫ぶこと、証しすること、うめくことを実行させてください。
スイッチを入れる七つの項目を実行するなら、命の霊の法則は働きます
[物質の]建物の中には、多くの系統[例えば、暖房、光、音、ビデオなど]が……設置されています。今や、それらはわたしたちがスイッチを入れる必要があるだけです。… これは命の霊の法則を例証します。… 自然による霊的な法則があるのです。わたしたちがその条件を満たすとき、この法則が働きます。その条件とは何でしょうか? 霊にしたがって歩くこと、あなたの思いを霊の事柄に付けること、体の行ないをすべて死に渡すこと、導かれること、叫ぶこと、証しすること、うめくことです。わたしたちがこれら[七つの]事柄をすべて行なうとき、内住することは働きます。そして、それが命の霊の法則の働きです。
今やあなたはローマ人への手紙第8章2節が「命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で… わたしを解放した」と言うとき、それは普通の「わたし」ではなく、スイッチを入れている「わたし」であることを見ることができます。… これは今日、地上で神のエコノミーを遂行する最上の祈りです。もしわたしたちがこれら七つの項目すべてを経験しているそのような人であるなら、確かに命の霊の法則はわたしたちを解放しています。もしわたしたちがこれら七つの項目をすべて実行するなら、命の霊の法則は真にわたしたちの中で働きます。(リー全集、1980年、第1巻(下)、「成就する訓練」、第31編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り18日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第2週第2日
キリストのからだの中で生活し奉仕するすべてのかぎは、内側で活動する命の霊の法則です
エペソ4:16
この方から、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部分の度量に応じた活動を通して、結合され組み合わされ、からだを成長させ、愛の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。
「キリストのからだの中でのわたしたちの生活と奉仕のすべてのかぎは、わたしたちの内側で活動する命の霊の法則です。命の霊の法則は、神格においてではなく、命、性質、表現においてわたしたちを神とし、神の長子のかたちへと形成して、ご自身の団体の表現とならせます(ローマ8:2,29)。命の霊の法則は、わたしたちをキリストのからだの肢体に構成し、あらゆる種類の機能を持たせます(エペソ4:11-12,16)。
主イエスよ、あなたを愛します。 命の霊の法則は、神聖な命の自然な力であることを賛美します。また、命の霊の法則は、わたしたちをキリストのからだの肢体に構成し、さまざまな機能を持つようにしてくださることを感謝します。わたしたちの生活と奉仕において、命の霊の法則にスイッチを入れることができますように。
命の法則の神聖な能力は、神を生きることができ、キリストのからだに構成します
内なる命の法則の神聖な能力は、神を生きることができます。この能力はまた、キリストにある信者たちが神で構成されるようにすることができます。信者たちは神で構成されているので、団体的な民として神の表現です。信者たちは神で構成されていますが、彼らと神との間には依然として区別があります。神は神格を持つ神のままであり、わたしたち信者は、命と性質において神と同じにされていますが、神格においてではありません。…… わたしたちは命と性質において神と同じですから、彼の増し加わり、彼の拡大となり、彼の豊満として彼を表現します。これは内なる命の法則の能力の最高の面です。
この能力のもう一つの面は、キリストのからだと関係があります。わたしたちが神で構成されるようにすることに加えて、内なる法則の能力は、わたしたちをキリストのからだに構成します(Ⅰコリント12:13、エペソ5:30)。これは、神聖な命にはわたしたちをキリストのからだとする能力があることを意味します。さらに、この能力には、からだのすべての機能のすべての才能があります。わたしは、わたしたちがみな、内なる命の法則の中心性と機能に深く印象づけられることを望みます。(「エレミヤ書ライフスタディ」、第26編)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
3月の祈り17日
キリストを経験し、享受し表現する(2) 第2週第1日
命の霊の法則によって、キリストを解放する方として経験します
ローマ8:2、16
なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。16 その霊ご自身、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子供たちであることを、証ししてくださいます。
「わたしたちは命の霊の法則によって、キリストを、わたしたちを解放する方として経験し、享受し、表現することができます(ローマ8:2)。ローマ第8章の命の霊の法則を享受することは、わたしたちをローマ第12章のキリストのからだの実際の中へともたらします。わたしたちがからだの中で、またからだのために生きるとき、この法則はわたしたちの内側で活動します(ローマ8:2,28-29.12:1-2,11.ピリピ1:19)」。
主イエスよ、あなたを愛します。三一の神は、肉体と成ること、十字架、復活、昇天の手順を経過して、命の霊の法則となり、わたしたちの霊の中に設置されたことを感謝します。主よ、わたしたちが主との接触の中にとどまって、命の霊の法則を自動的にわたしたちの内側で活動させることができますように。
主は命の霊の法則として、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則からわたしたちを解放します
ローマ人への手紙第7章22節から第8章4節は、解放する方としてのキリストを啓示しており、彼は命の霊の法則によって、罪と死の法則から、苦悩している者を救い出します。第7章24節でパウロはあわれなほどに叫んでいます、「何とわたしは苦悩している者でしょう! だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか?」。パウロの問いかけに対する答えは、第7章25節と第8章において提示されています。……パウロには罪定めがありませんでした。なぜなら、彼は命の霊の法則によって、罪と死の法則からの解放を経験したからです。
命の霊には、生ける法則があります。この生ける法則は生けるパースン、すなわち、キリストにあって手順を経て、わたしたちの内側に住んでおられる三一の神です。命の霊の法則とは、キリストにある三一の神であり、彼は肉体と成ること、十字架につけられること、復活、昇天の手順を経過し、わたしたちの中へと入り、わたしたちの命となっただけでなく、わたしたちの法則ともなられました(2-3、10-11、34節)。この生けるパースンは命の霊の法則として、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則からわたしたちを解放します。(「新約の結論(18)」、メッセージ301)
(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)
千葉に在る教会は、コロナの流行により集会参加の際に、注意していただきたい点を掲載してまいりました。しかし政府により、この感染症に対する警戒ランクが引き下げられました。したがって集会時の、注意及び要望を解除いたします。しかし通常のインフルエンザ等における程度の対応は、各自の責任においてお願いします。なお、引き続きZoomを用いて、リモートで集会にあずかることは可能です。こちらの方法での参加についてはご相談ください。参加していただけるようパスワード等をお知らせいたします。集会にリモートで参加してくださる方々においても、積極的な申言・交わりをお願いいたします。
今後、集会の変更があった時は、LINE,ホームページ等でお知らせします。主イエス・キリストから恵みと平安が、みなさま一同と共にありますように。