イ. 神の贖いの方法は死を通してです
聖書によれば、神の義は、すべての罪が裁かれることを要求します。義(ただ)しく罪が裁かれる唯一の道は、死ぬという方法によってです。ヘブル人への手紙第九章二二節は言っています、「血を流すことがなくては赦しはない」。神がわたしたちの罪を裁き、赦すためには、血が流されなければなりません。すなわち、死ぬ必要があるのです。死ぬということがなければ、贖いのどんな方法も、神の義の要求を満たすことがなく、神の水準に達しません。
旧約において、神はいけにえとして動物の死を要求されました。人が罪を犯した時、彼は小羊や牛をささげて、いけにえとして殺さなければなりませんでした。そのようにして、はじめて神の義の要求がなだめられまLた。この方法は、神に人の罪を過ぎ越させはしましたが、それは罪の問題に対する最終的な解決にはなりませんでした。新約において、罪の問題に対する神の解決は、神のひとり子、イエスキリストを遺わして、唯一のいけにえ(犠牲)とすることでした。これはすべての旧約の動物のいけにえと置き代わるためでした(ヘブル10:1-18〕。神はイエスを全人類に代わって死なせました(Ⅰペテロ3:18)。神のひとり子であるイエスキリストの上に裁きを執行することによって、人の罪は裁かれ、罪の問題は最終的に永遠に解決されたのです(ローマ8:3、ヘブル9:26)。旧約において、人は罪を対処するため何かしなければなりませんでした。いけにえとして動物をささげたのです。けれども新約では、行なわれるべきすべての事は、イエスキリストにあって神によってすでに成し遂げられたのです。キリストは完全ないけにえであり、永遠のいけにえです。神がしてくださった事を改良するために、このいけにえに人が加えることのできることは何もありません。ですから新約では、人は自分を救うために、いかなる善行も行なう必要がないのです。神はすでに人のためにいっさいの事をしてくださったのです。
キリストの贖いと救い:アウトライン
(JGW日本福音書房 ロシアでの福音メッセージによる小冊子(5)キリストの贖いと救いより抜粋)