朝ごとの食物

5月の祈り第18日

(年二回の訓練12月 第12週6日)

 

共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至ります

 

エペソ2:21-22

その方の中で、建物全体が共に組み合わされ、主の中にある聖なる宮へと成長していき、その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至るのです。

 

「わたしたちが良き地としてのキリストのすべてを含む豊富を享受した結果は、宮、すなわち神の住まいとしての、また都、すなわち神の王国としての召会です(エペソ2:21-22)」。 聖なる地は、神が信者たちに割り当てた分け前としてのキリストを予表します……。聖なる都……はキリストにある神の王国を表徴します(詩48:1-2)。聖なる宮……は地上での神の家、召会を表徴します(エペソ2:21.Ⅰテモテ3:15)。これらは神のエコノミーに関する三つの重要な事柄です(列王上8:48、フットノート1)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちがキリストのすべてを含む豊富を享受して、神に対して、また互いに対して服従に満ちることができますように。そして、キリストの権威がわたしたちの間にあり、わたしたちが共に建造されて、霊の中にある神の住まいへと至りますように。

 

 

わたしたちの間に服従があるなら、キリストの権威があり、神の住まい、神の宮を拡大します

 

 神の住まいは神の宮です。そしてわたしたちは神の宮を持つなら、神の臨在と神の奉仕を持ちます。しかし、この神の宮は拡大を必要とします。……それは神の権威としてのキリストによって拡大されます。……これは極めて実際的です。あなたとわたしが、わたしたちが示してきた方法でキリストを共に享受するとき、キリストの権威の実際がわたしたちの間にあります。そのような享受の中で、またそのような享受から、わたしたちは神に対して、また互いに対して大いに服従するでしょう。わたしたちは服従に満ちるでしょう。…… 

 

 わたしたちの間に服従があるなら、キリストの権威はわたしたちの間にあります。キリストの権威が、神の住まい、神の宮を拡大するのです。地はキリストご自身であり、宮と都はキリストの豊満です。キリストはかしらであり、キリストの豊満はからだ、召会です。……これが、神が今日求めておられるものです。(「すべてを含むキリスト」、第16章)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第17日

(年二回の訓練12月 第12週5日)

 

主が選んだ場所(わたしたちの霊の中と、一の唯一の立場の上)で集まり、礼拝します

 

申12:5-7

エホバ・あなたがたの神が、……選んで彼の御名を置かれる場所、すなわち彼の住まいを尋ね求めて、そこへ行かなければならない。そして、あなたがたの全焼のささげ物と犠牲と十分の一……を、そこに持って行かなければならない.その所で、エホバ・あなたがたの神の御前で食べ、あなたがたと家族は、エホバ・あなたの神が祝福されたあなたの手のすべてのわざを、喜び楽しまなければならない。

 

「わたしたちは、主が選んだ場所(わたしたちの霊の中と、一の唯一の立場の上)で主の子供たちと集まり、団体的に礼拝しなければなりません(申12:5,11,13-14,18.16:16.ヨハネ4:24)。第一に、神の聖なる所、彼の住まいはわたしたちの霊の中にあります(エペソ2:22)。第二に、神の聖なる所は召会です(Ⅰテモテ3:15)。わたしたちの霊の中と召会の中で、わたしたちは神聖な啓示とすべての問題の説明とを受けます(詩73:16-28)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主が選んで御名を置かれる場所で、わたしたち主の子供たちが共に集まり、団体的に礼拝することができますように。わたしたちのミングリングされた霊の中で、神の聖なる所である召会の中で、キリストを喜び楽しみ、神を礼拝することができますように。

 

 

神を礼拝することに関する新約の啓示は、少なくとも四つの面があります

 

 神を礼拝することに関する新約の啓示は、少なくとも四つの面で申命記第12章の啓示に符合します。第一に、神の民は常に一であるべきです。彼らの間に分裂があってはなりません(詩第133篇.ヨハネ17:11、21-23……)。第二に、神の民がその中へと集まるべき唯一の御名は、主イエス・キリストの御名であり(マタイ18:20.Ⅰコリント1:12とフットノート)、その実際はその霊です(3節)。  第三に、新約で神の住居、彼の住まいは、特にわたしたちの霊の中に設けられています。それは、わたしたちのミングリングされた霊、再生され、神聖な霊によって内住されているわたしたちの人の霊です(ヨハネ3:6後半.ローマ8:16.Ⅱテモテ4:22.エペソ2:22)。

 

 第四に、わたしたちは神を礼拝するとき、祭壇で表徴されるキリストの十字架を真に適用し、肉、自己、天然の命を拒絶し、キリスト、ただキリストをもって神を礼拝しなければなりません(マタイ16:24.ガラテヤ2:20)。ですから、神の民が神を礼拝する集会は、主イエス・キリストの御名の中で、神の住まいの場所としてのミングリングされた霊の中で、十字架がある場所で、十分の一、ささげ物、犠牲の実際としてのキリストの享受を伴うべきです(参照、ヨハネ4:24のフットノート4)。(申命記12:5、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第16日

(年二回の訓練12月 第12週4日)

 

集会でわたしたちは、労苦して、享受し、経験したキリストを展覧します

 

Ⅰコリント14:26

それでは兄弟たちよ、どうなのですか? あなたがたがいつも集まるときには、それぞれの人に詩歌があり、教えがあり、啓示があり、異言があり、解釈があります。すべての事を、建造のために行ないなさい。

 

「わたしたちは共に集まって、わたしたちがその上で労苦したキリスト、すなわちわたしたちが享受し経験したキリストを展覧しなければなりません(申14:22-23)。わたしたちはすべての集会の中で、神への、また参加者への自発のささげ物として語るものをいつも持っているべきです(Ⅰコリント14:26)。集会に来る前、わたしたちは集会のために自分自身を準備し、主の何かを持っているべきです。それは、わたしたちが主を経験することを通して、あるいは主の言葉を享受し、祈りの中で彼と交わりを持つことを通してです」。

 

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが知恵を尽くして、キリストの言をわたしたちの内に豊かに住まわせることができますように。そして、集会の中で、享受し経験したキリストの豊富を、自発のささげ物として展覧することができますように。

 

 

古代の仮庵の祭りで、イスラエルの子たちは良き地で労苦して収穫した産物を、携えて来て主にささげました

 

[コリント人への第一の手紙第14章26節は]、わたしたちが召会の集会に来るとき、人に分け与える主の何かを持っていなければならないことを示します。……集会に来た後、わたしたちは霊感を待つべきではありません。待つ必要はありません。わたしたちはわたしたちの霊を活用し、わたしたちの訓練された思いを用いて機能し、主に対して彼の栄光と満足のために、また参加者に対して彼らの益(彼らが照らされ、養われ、建造されること)のために準備したものをささげるべきです。……

 

 これは、古代の仮庵の祭りのようです。イスラエルの子たちは良き地の産物、すなわち彼らがその地で労苦して収穫した物を、祭りに携えてきて主にささげました。それは、主との交わりと互いの交わりの中で、主に享受していただき、また互いに主の御前で享受するためでした。わたしたちは、わたしたちの良き地であるキリストの上で労苦して、彼の豊富からいくらかの産物を収穫し、召会の集会に携えて来て、ささげるべきです。(「コリント人への第一の手紙ライフスタディ(2)」、第63編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第15日

(年二回の訓練12月 第12週3日)

 

良き地としてのキリストの上で労苦し、享受としてのキリストを獲得します

 

ピリピ3:13-14

兄弟たちよ、わたしはまだ自分自身、捕らえたとは思っていません.ただ一つの事、すなわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ、キリスト・イエスの中でわたしを上に召してくださった神の賞を得るために、目標に向かって追い求めています。

 

 「わたしたちは勝利者になりたいなら、わたしたちの良き地としてのキリストの上で労苦し、わたしたちの享受としてのキリストを獲得する必要があります。毎朝わたしたちは、主を享受し経験するという単一の目的のために、自分自身を真実に主にささげなければなりません(参照、ピリピ3:13-14)。毎日、朝早く御言の中で主を享受して、日ごとに新しい開始を持つ必要があります(詩119:147-148)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが時間を贖い取って、神の聖なる御言に自分のエネルギーを費やすことができますように。主との交わりを維持し、いつも喜び、絶えず祈り、あらゆる事で感謝することによって、霊の中で満たされていますように。 

 

 

主を享受し経験するために、自分自身を真実に主にささげます

 

 キリストの上で日ごとに働くためにわたしたちは何をしなければならないのでしょうか? ……あなたは主を享受し経験するという単一の目的のために、自分自身を真実に主にささげなければなりません。他にありません。あなたは朝、目が覚めた瞬間から言う必要があります、「主よ、わたしはここにいます。わたし自身をささげてあなたを享受します。この瞬間から、一日中あらゆる状況の中であなたを経験し適用させてください。わたしは今日あなたを享受する恵みを求めています。どのように地を耕し、種をまき、主の植物に水を注ぐかを教えてください」。

 

 あなたは一日を通して瞬間ごとに、主との交流を維持するでしょう。あなたは実行上、主の中で生き、彼の上で労苦し、彼を適用し、彼を享受するでしょう。こうすれば、あなたの「畑」がいかに実り多く、…… キリストの畑はあなたの日常生活において、産物に満ちるでしょう。主日が来て、あなたは聖徒たちと共に行って主を礼拝するとき、言うことができるでしょう、「わたしは今わたしの神に会い……わたしの主を礼拝しようとしています。わたしは空手ではなく、キリストに満ちた手で行きます。わたしは余剰を持っており、右の手にはわたしの愛する主のために取っておかれた最上のものがあります」。(「すべてを含むキリスト」、第15編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第14日

(年二回の訓練12月 第12週2日)

 

あらゆる状況において、キリストを享受し経験することを追い求めます

 

コロサイ1:12

光の中で、聖徒たちに割り当てられた分け前にあずかるようにと、あなたがたを資格づけてくださった御父に、感謝をささげるように。

 

コロサイ2:6-7

それで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れたのですから、すでに彼の中に根ざしており、そして建造されながら……

 

「わたしたちは、神の目にどのような生活をして、良き地によって予表される、すべてを含むキリストを享受することができるようになるかを見る必要があります(コロサイ1:12.2:6-7前半)。わたしたちはキリストの上で労苦する生活、個人的にキリストを享受する生活をする必要があります。そして、あらゆる状況においてキリストを享受し経験することを追い求める必要があります(ピリピ3:7-14)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。光の中で聖徒たちに割り当てられた分け前を感謝します。主よ、わたしたちが良き地としてのキリストの上で労苦し、キリストを十分に産出することができますように。そして、他の人たちと主ご自身に与えることができるほどの余剰を持つことができますように。

 

 

良き地の産物は、わたしたちの労苦を通して来ます

 

 父なる神は、子なる神の贖いによって、霊なる神の聖別を通して、わたしたちがすべてを含むキリストに、すなわち、手順を経た三一の神の具体化に、聖徒たちに割り当てられた分け前としてあずかるようにと、資格づけてくださいました[カナンの良き地の割り当てによって例証されている]。(コロサイ1:12、フットノート1)

 

 良き地はすべてを含むキリストの予表です(参照、申8:7のフットノート1)。神の食物はキリストの豊富であり、良き地の産物によって予表され、この産物はわたしたちの労苦を通して来ます。わたしたちはキリストの上で労苦し、キリストを経験する必要があります。すると産物であるキリストは、わたしたちの満足のためだけでなく、神の満足のためでもあります。(民数記18:28、フットノート1)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第13日

(年二回の訓練12月 第12週1日)

 

霊的に言って、良き地の実際はコリント人への第二の手紙にあります

 

Ⅰコリント15:10

しかし、神の恵みによって、今のわたしがあるのです.そしてわたしに対する神の恵みは、無駄にはなりませんでした.……わたしは彼らのだれよりも多く労苦してきました.しかし、それはわたしではなく、わたしと共にある神の恵みです。

 

Ⅱコリント6:1

そしてわたしたちは、神と共に働きながらあなたがたに懇請します.神の恵みを無駄に受けることがないようにしなさい。

 

「コリント人への第二の手紙における良き地の実際は、神聖な恵みとしてのキリストご自身です。主イエス・キリストの恵みは、コリント人への第二の手紙の中心思想、また主題です(Ⅱコリント13:14.1:12.4:15.6:1.8:1,9.9:8,14.12:9)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主イエス・キリストの恵みを感謝します。主よ、わたしはあなたを良き地として獲得することを願います。主よ、すべての環境、生活において、あなたの恵みがわたしを強め、わたしに活力を与え、あなたを良き地として享受することができますように。 

 

 

良き地は、手順を経た三一の神の具体化であるキリストご自身です

 

 コリント人への第一の手紙でパウロは、コリント人をイスラエルの子たちにたとえています。彼らは過越としてのキリストを経験することによって、エジプトを離れ(5:7)、荒野をさまよって、キリストを天のマナとして、また生ける水を流し出した霊の岩として経験しました(10:3-4)。しかしコリント人への第一の手紙では、イスラエルの子たちが最終的に入って所有したカナンの良き地について、何も述べていません。良き地に入った記録はどこにあるのでしょうか? 

 

 それは、コリント人への第二の手紙にあります。良き地という用語はこの書において使われていませんが、霊的に言って、コリント人への第二の手紙において良き地を見ることができます。この書における良き地は、手順を経た三一の神の具体化であるキリストご自身です。彼はわたしたちの享受のために、神聖な恵みとしてわたしたちに与えられています。この書でわたしたちは、神が与えた分け前としてのキリストを所有した人たちを見ます。これらの人たちは、神が約束し、与えた地に入り、キリストご自身であるこの地を享受していました。(リー全集、1967年、第2巻(上)、「霊の中の人の自叙伝」、第10編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

5月 全国特別集会

5月の祈り第11日

(2024年5月全国特別集会 第6日)

 

神の新約エコノミーの四つの層の意義

 

使徒2:41,42

そこで、彼の言を受け入れた人たちは、バプテスマされた.その日に、約三千人が加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えと交わりを堅く持ち続け、パンをさくことと祈りを堅く持ち続けた。

 

エペソ4:12

それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり、

 

「今回の全国特別集会で、神の新約エコノミーの四つの層の意義を見ました。神の新約エコノミーにおける第一の層は、使徒たちの教えであり、第二の層は新約の務めであり、第三の層はキリストのからだであり、第四の層は諸召会です。今日、主の回復の中で、わたしたちの道、奉仕、働き、集会はこの四つの層に基づいており、この四層の一の中でわたしたちは主に仕えます」。

 

  第一の層は、使徒たちの教えです(使徒 2:42)。使徒たちの教えだけが神のエコノミーにおいて堅く立つことができ、また永遠に至るまで堅く立つことができます。召会は使徒たちと預言者たちの土台の上に建てられています(エペソ 2:19-20)。新約の教え全体は、使徒たちの教えであり、神が御子の中で彼の新約の民に語られた、神の託宣です(ヘブル1:1-2)。

 

  第二の層は、新約の務めです(Ⅱコリント 4:1)。新約の使徒たちの教えの務めは義認をもたらし、人々に命を与えます(18 節)。新約の務めは、すべてを含むキリストの計り知れない豊富を神の家の人たちの中へと分け与えることです(エペソ 3:2,8-9.コロサイ 1:25)。新約の務めは唯一無二であり、また団体的なものです(使徒 1:17.Ⅱコリント 4:1)。新約時代では、神の唯一の意図はからだの建造であり、この一つの目的のために、神は一つの働きと一つの務めを持っておられます。

 

  第三の層は、キリストのからだです。エペソ第4章11節から12 節においてパウロが言っているのは、賜物のあるあらゆる人は、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであるということです。これは神の新約エコノミーの第三の層の意義です。

 

  第四の層は、神の諸召会です。このからだは地上において具体的な表現を持ち、地上において実際の出現を持つ必要があります。諸地方召会はキリストのからだの実際的な表現であり(マタイ16:18,18:17.エペソ 1:22-23.2:21-22.啓 1:11)」、それは、実行上の召会です(啓1:2,9,11)。これが第四の層の意義です

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第10日

(2024年5月全国特別集会 第5日)

 

主が戻って来られるまで、パンをさくことを堅く持ち続ける

 

ルカ 22:19-20

それから、イエスはパンを取って感謝をささげ、それをさいて彼らに与え、言われた、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である.わたしの記念にこれを行ないなさい」。彼らが食事をした後、杯も同じようにして言われた、「この杯は、あなたがたのために注ぎ出される、わたしの血によって立てられた新しい契約である」。

 

「主は自らわたしたちがパンさきの集会にあずかるように命じました(ルカ22:19-20)。パンをさくことは、主の晩餐を食べ、主の食卓(宴席)に着くことです(使徒 20:7)。主の晩餐は主の満足のためです(Ⅰコリント11:20)。主の晩餐の重点は、主を記念することです(24-25節)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちは 罪人として神の激怒の杯を飲むはずでしたが、あなたがわたしたちのために、この杯を飲んでくださったことを感謝します。今、わたしたちは、満ちあふれる救いの杯にあずかっています。主よ、あなたが戻って来られるまで、パンをさき主を記念することを堅く持ち続けることができますように。

 

 

新約のこの新しい実行は、パンを食べ杯を飲んで主を記念することです

 

 ◎ 主の食卓の意義は、享受をもってあずかり、享受をもって交わることです。主の食卓にあずかることは、わたしたちが霊的に養われて、命の中で成長するのに最上の道です(Ⅰコリント10:3-4.3:6-7.エペソ 4:16)。◎ 新約のこの新しい実行は、パンを食べ杯を飲んで主を記念することです。パンは、わたしたち信者のために与えられた主の体を象徴し、杯は、わたしたちの罪のために流された主の血を象徴します(Ⅰコリント 11:24-25.マタイ 26:28)。パンはまた、主の奥義的なからだを表徴します。このからだは、キリストが彼の天の務めを遂行して、神聖な行政を完成する手段です(エペソ 1:22-23.4:16.啓 5:6)。

 

 キリストの血は新契約の血であり、神の民を、新契約において神が民に与える祝福へと導きます(ルカ 22:20.ヘブル 8:10-12)。◎ 初期の召会が祝福されたのは、使徒たちの教えと交わりを堅く持ち続け、パンをさくことと祈りを堅く持ち続けたからです(使徒 2:42)。主イエスは、彼が戻って来られるまで、わたしたちがこのようにパンをさき彼を記念するようにと求めておられます。このために、わたしたちは、主の命令を守り、主が戻って来られるときに、主を見逃さないようにしなければなりません(参照、ルカ 15:20)。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第9日

(2024年5月全国特別集会 第四の層 第4日)

 

神の新約エコノミーの第四の層は、神の諸召会です

 

マタイ6:18

そこでわたしもあなたに言う.あなたはペテロである.わたしはこの岩の上に、わたしの召会を建てる.ハデス[陰府]の門も、それに勝つことはない。

 

マタイ18:17

もし彼が彼らに聞き従うことを拒むなら、召会に告げなさい.もし彼が召会に聞き従うことをも拒むなら、彼を異邦人や取税人のように扱いなさい。

 

「召会に関して、聖書には「神の召会」(Ⅰコリント 10:32)と「神の諸召会」(11:16)という二つの用語があります。「神の召会」は宇宙召会、キリストの唯一のからだを指し、神の諸召会は諸地方召会を指します。このからだは地上において具体的な表現を持ち、地上において実際の出現を持つ必要があります。諸地方召会はキリストのからだの実際的な表現です(マタイ16:18,18:17.エペソ 1:22-23.2:21-22.啓 1:11)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。諸地方召会は、キリストのからだの地上における実際的な表現です。召会が各地において、キリストのかたち、表現、美徳を帯びて、金の燭台として輝きますように。

 

 

多くの地方召会は、一地方におけるキリストの唯一のからだの表現です

 

 マタイ第16章18節で啓示されている召会は、宇宙召会、キリストの唯一のからだです。マタイ第18章17節で啓示されている召会は、地方召会、一地方におけるキリストの唯一のからだの表現です。一つの宇宙召会、すなわちキリストのからだは、多くの地方召会、すなわちキリストのからだの地方における表現となっています(ローマ 12:4-5.16:16)。キリストの唯一のからだは、多くの地方において、諸地方召会として表現されます(エペソ 4:4.啓 1:4,11)。

 

 啓示録は、イエスの証しとしての諸召会に関する書です(啓 1:1-2,9,11.22:16前半)。イエスの証しは、個人のクリスチャンではなく、それは諸地方召会、すなわち、実行上の召会です(啓1:2,9,11)。わたしたちのいる地方の人々にイエスを示すためには、イエスがだれであるかを証しする地方召会が必要になります。こういうわけで、わたしたちの地方における召会は、キリストのかたち、表現、現れ、美徳を担うべきです(コロサイ 1:15.3:10)。啓示録の最初の三章の中心的な概念は、七つの燭台が七つの地方召会であって、神の表現になるということです(啓 1:11,20)。金の燭台としての召会は、イエスの証しを担います(啓1:2,9. 20:4)。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より) 


5月の祈り第8日

(2024年5月全国特別集会 第三の層 第3日)

 

神の新約エコノミーにおける第三の層は、キリストのからだです

 

エペソ4:11,12

そして彼ご自身は、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧する者また教える者として与えられました.それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり、

 

「エペソ第4章11節から12 節においてパウロが言っているのは、賜物のあるあらゆる人は、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであるということです。これは神の新約エコノミーの第三の層の意義です」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちにキリストのからだをさらに啓示してください。三一の神がわたしたちの中で働いて、キリストのからだを生み出し、このからだが建造されて、神の心の願いが成就されますように。

 

 

父、子、霊は人とミングリングされ、建造されてキリストのからだとなります

 

 ◎ 神のエコノミーはキリストのからだのためです(Ⅰテモテ 1:4.エペソ 3:9-11.4:16)。神の永遠のエコノミーは、神が人と成ることを通して、人が神格においてではなく、命と性質において神となるためであり、有機的なからだを生み出し、彼の有機体として、彼の増し加わりと表現となるためです(ローマ 8:3.1:3-4.12:4-5)。◎ キリストのからだは、三一の神とキリストにおける信者との神聖な構成です(エペソ 4:4-6)。父、子、霊は人とミングリングされ、建造されてキリストのからだとなります(エペソ1:23.4:12, 16)。そして、◎ キリストのからだは神の心の願いを成就して、神を表現し、サタンを滅ぼします(ローマ 12:4-5.Ⅰコリント 12:12, 27.エペソ 1:22-23.4:4, 16.コロサイ 1:18.2:19.創 1:26-28)。三一の神はわたしたちの中で働いて、キリストのからだを生み出し、建造します(エペソ 3:16-21.ローマ 8:11.12:4-5)。

 

 ◎ この回復は、キリストにはただ一つのからだがあるという真理に基づいています(エペソ 1:23.4:4)。一つのからだは神の一つの召会であり、多くの地方において多くの地方召会として現わされています(Ⅰコリント 10:32 後半.啓 1:4, 11)。そして、◎ わたしたちは宇宙的なクリスチャンとなって、キリストの宇宙的なからだの宇宙的な観点を持つ必要があります(エペソ 1:17-23.2:21-22)。からだは召会であり、召会は新エルサレムの縮図です。新エルサレムは来たるべきものであり、召会はその前身として今日、存在しているものです。新エルサレムはキリストのからだであるこの前身の満ち満ちた完成です。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第7日

(2024年5月全国特別集会 第二の層 第2日)

 

神の新約エコノミーの第二の層の意義は、新約の務めです

 

Ⅱコリント4:1

こういうわけで、わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けたのですから、落胆しません.

 

エペソ4:12

それは、聖徒たちを成就して、その務めの働きへと、キリストのからだの建造へと至らせるためであり、

 

「神の新約エコノミーの第二の層の意義は、新約の務めであり(Ⅱコリント 4:1)、新約の使徒たちの教えの務めが義認をもたらし、人々に命を与えることです(18 節)。わたしたちみなが受け入れるのはこの唯一の務めです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。新約の務めが、キリストの計り知れない豊富をわたしたちの中へと分与してくださることを感謝します。主よ、わたしたちはあわれみを得て、この務めを受けています。召会のさまざまな奉仕において、キリストを人に供給し新約の唯一の務めを遂行することができますように。

 

 

新約の務めは唯一無二であり、また団体的なものです

 

 新約の務めは、すべてを含むキリストの計り知れない豊富を神の家の人たちの中へと分け与えることです(エペソ 3:2,8-9.コロサイ 1:25.使徒 1:17,25.Ⅱコリント 4:1 前半.エペソ 4:12,15-16)。 ◎ 新約の務めは唯一無二であり、また団体的なものです(使徒 1:17.Ⅱコリント 4:1)。新約時代では、神の唯一の意図はからだの建造であり、この一つの目的のために、神は一つの働きと一つの務めを持っておられます。

 

 ◎ これらの聖書の節は、新約の務めが団体的であることを啓示していますが、他のいくつかの節は、務めが個人的であるかのようにも示しています(使徒 20:24.21:19.Ⅱテモテ 4:5.コロサイ 4:17)。全体的な面から言うなら、からだには一つの団体的な務めしかなく、多くの務めがあるのではありません。ただし、この務めはキリストのからだの奉仕であり、キリストのからだには多くの肢体があるので、各肢体にはそれぞれその個人の務めがあります。したがって、肢体の面から言えば、多くの務めがあります(ローマ 12:4-5.Ⅰコリント 12:5)。

 

 ◎ わたしたちはさまざまな角度から同じ一つの事を供給する必要があります。わたしたちはみな、同じ事を語る必要があります(参照、ローマ 15:6.Ⅰコリント 1:10)。また、 ◎ わたしたちはさまざまな務めが必要ですが、これらの務めはその層が積み重ねられている必要があります(啓 21:14,18-20)。これらの十二の土台は横に並べられているのではなく、その層が積み重ねられています。これらの十二の土台はすべて、唯一の表現の中の唯一の証しをもたらし、支えます。

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第6日

(2024年5月全国特別集会 第一の層 第1日)

 

神の新約エコノミーにおける第一の層は、使徒たちの教えです

 

使徒2:41,42

そこで、彼の言を受け入れた人たちは、バプテスマされた.その日に、約三千人が加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えと交わりを堅く持ち続け、パンをさくことと祈りを堅く持ち続けた。

 

「今回の全国特別集会で、神の新約エコノミーの四つの層の意味を見ました。神の新約エコノミーにおける第一の層は、使徒たちの教えです(使徒 2:42)。第二の層は新約の務めであり、第三の層はキリストのからだであり、第四の層は諸召会です。今日、主の回復の中で、わたしたちの道、奉仕、働き、集会はこの四層に基づいています」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。神の新約エコノミーの四つの層の意義を見せてくださって感謝します。主よ、わたしたちが新約全体を含んでいる使徒たちの教えを受け入れて、その制御の下にいることができますように。その満ち満ちた福音の内容を享受することができますように。そして、使徒たちと預言者たちの啓示の土台の上に召会が建造されていきますように。

 

 

使徒たちの教えは満ち満ちた福音の内容であり、新約全体を含んでいます

 

 神の新約エコノミーにおける第一の層の意義は、使徒たちの教えです(使徒 2:42)。使徒たちの教えだけが神のエコノミーにおいて堅く立つことができ、また永遠に至るまで堅く立つことができます。召会は使徒たちと預言者たちの土台の上に建てられていることを覚えておく必要があります(エペソ 2:19-20)。 ◎ 新約の教え全体は、使徒たちの教えであり、神が御子の中で彼の新約の民に語られた、神の託宣です(ヘブル 1:1-2)。

 

 ◎ 使徒たちの教えは、神が肉体と成ることから新エルサレムの究極的完成までの、神の新約エコノミーの唯一の神聖な啓示です。 ◎ 使徒たちの教えは満ち満ちた福音の内容であり、新約の一部分を含むだけでなく、新約全体を含んでいます(ローマ 1:1-4)。また、 ◎ 使徒たちの教えは召会の憲法です。召会はそれを保持し、完全にその制御の下にいなければなりません。それは三つの神聖で奥義的な時期におけるキリストの満ち満ちた務めによって遂行され、神の永遠のエコノミーを完成します(エペソ 3:8-10)。(2024年5月特別集会アウトライン)

      

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)

朝ごとの食物

5月の祈り第4日

(年二回の訓練12月 第11週6日)

 

ささげ物のすべては、わたしたちが主観的に経験するキリストです

 

ヨハネ4:24

神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなければならない。

 

Ⅲヨハネ1

長老から愛する者ガイオへ.わたしはあなたを真実の中で愛しています。

 

「ヨハネ第4章23節から24節によれば、わたしたちは霊と真実の中でわたしたちの父なる神を礼拝する必要があります。真実とは、人の真摯、誠実、真誠、信頼に足ること、信実であって、神聖な実際が流れ出た人性の美徳です(ヨハネ14:6)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。わたしたちが受け入れたそのキリストを、日ごとに経験することができることを感謝します。わたしたちが霊と真実の中で神を礼拝することができるように、神聖な実際をもってわたしたちに浸透してください。

 

 

わたしたちは霊と真実の中でわたしたちの父なる神を礼拝します

 

 クリスチャン生活はわたしたちが受け入れたそのキリストを日ごとに経験する生活です。……キリストに対するこの経験は、わたしたちが神を礼拝するためのささげ物を生み出します。わたしたちは霊の中で、また自分たちの日常生活の中で経験してきたそのキリストをもって召会の集会に来るべきです。召会の集会でわたしたちが神を礼拝するのは、わたしたちの霊の中で、またわたしたちがささげ物として経験してきたキリストをもってであるべきです。

 

 わたしたちは彼を罪のためのささげ物として、あるいは違犯のためのささげ物として……全焼のささげ物として、穀物のささげ物として、平安のささげ物としてささげるかもしれません。すべてこれらのささげ物はわたしたちが主観的に経験するキリストです。(「ヨハネの第一の手紙ライフスタディ」、第10編

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第3日

(年二回の訓練12月 第11週5日)

 

真の礼拝者たちが、霊と真実の中で父を礼拝する時が来ます

 

ヨハネ4:14,23

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して永遠に渇くことはない.わたしが与える水は、その人の内で源泉となり、湧き上がって、永遠の命へと至るのである」。…… しかし、真の礼拝者たちが、霊と真実の中で父を礼拝する時が来る.そしてそれは今である.父はそのように彼を礼拝する者を、捜し求めておられるからである。

 

「これら最後の日々に主は、キリストに対する真の経験を回復し、集会においてキリストの豊富の余剰を展覧します。それは、キリストのからだとしての召会を建造するためであり、花婿の来臨のために花嫁が用意を整えるためです」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。キリストのからだとしての召会を感謝します。主よ、わたしたちが日常生活の中で、十分なキリストを産出することができますように。そして、余剰を他の人たちと分かち合い、最上の部分を父なる神にささげることができますように。

 

 

わたしたちは、キリストの何かを神の満足のために神にささげます

 

 真実の中で神を礼拝することは、わたしたちの集会生活の事柄であるだけでなく、わたしたちの日常生活の事柄でもあります。真実の中で神を礼拝するために、わたしたちは日常生活のあらゆる面でキリストを扱う必要があります。わたしたちが髪をといたり、歯を磨いたり、他の行為を行なうとき、わたしたちはキリストと共にそれを行なうべきです。そうすれば、神は生ける霊を天的な雨として送って、わたしたちを潤し、わたしたちの中でキリストのものを成長させてくださいます。……

 

 わたしたちはもはや、教えを受けたり、メッセージを聞いたりするためだけに集会に来るべきではありません。わたしたちは、キリストの何かを神の満足のために神にささげ、またキリストの何かを聖徒たちの相互の享受のために聖徒たちと分かち合うという意図と全き期待をもって、集会に来るべきです。(リー全集、1970年、第2巻(下)、「神が捜し求めている礼拝をもって神を礼拝する」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第2日

(年二回の訓練12月 第11週4日)

 

キリストの豊富の収穫物を、召会の集会にもたらして、父なる神を団体的に礼拝します

 

Ⅰコリント14:26

それでは兄弟たちよ、どうなのですか? あなたがたがいつも集まるときには、それぞれの人に詩歌があり、教えがあり、啓示があり、異言があり、解釈があります。すべての事を、建造のために行ないなさい。

 

「毎日、わたしたちはキリストの上で労苦して、キリストの豊富の収穫物を持ち、召会の集会にもたらして、父なる神を団体的に礼拝すべきです。キリストは高く上げられ、キリストの栄光は現されます。そして御父は喜び、満足します(申12:6.16:15-17.Ⅰコリント14:26.ヨハネ4:23-24)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。主よ、わたしたちが個人的にも、団体的にもすべてを含むキリストの上で日ごとに労苦することができますように。わたしたちが集まるときには、それぞれの人に詩歌、教え、啓示などのキリストの豊富の収穫物がありますように。そして、神のすべての子供たちと共に、集団で神を礼拝することができますように。

 

 

主によって対処され、主に信頼して福音を語る必要があります

 

 わたしたちはキリストを経験し、また享受することによって豊かにされる必要があります。ですからわたしたちは、わたしたちの霊を活用することによって、キリストに接触し、キリストを享受し、経験し、あずかる必要があることを強調するのです。……わたしたちはみな日ごとに地を耕し、種をまき、水をやり、肥料をやり、日光を当てることによって、わたしたちの地としてのキリストの上で労苦しなければなりません。これは、わたしたちが主と交渉し、また主によって対処されなければならないことを意味します。

 

 さらに、わたしたちは彼に信頼して福音を語る必要があります。一定期間の後、わたしたちは収穫物として主の何かを持ちます。何かが余剰として実ります。そしてわたしたちは豊かに集会に携えて来るために、わたしたちの霊の中に分け前を持ちます。わたしたちは神の満足のために彼にささげるための、また他の人たちの満足のために彼らと分かち合うためのキリストの豊富をもって集会に来ます。この種類の集会、奉仕、務め、貢献によって、召会はキリストの実際と本質の豊満をもって出現します。(リー全集、1966年、第1巻(上)、「召会に関する主の回復」、第2編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)


5月の祈り第1日

(年二回の訓練12月 第11週3日)

 

経験したキリストの余剰が集会で神にささげられ、全宇宙に展覧されます

 

申12:11

エホバ・あなたがたの神が御名を住まわせるために選ばれた場所へ、わたしがあなたがたに命じているすべてのものを、持って行かなければならない.それは、あなたがたの全焼のささげ物と犠牲、あなたがたの十分の一と手の挙げるささげ物、あなたがたがエホバに誓願する、すべてのえりすぐりの誓願である。

 

「わたしたちは正しいクリスチャンの集会を持つために、わたしたちの個人的な生活の中で日ごとに主と接触し、それから、わたしたちはキリストを展覧しキリストを他の人たちと分かち合うために来るという認識と理解をもって、集会に来る必要があります(Ⅰコリント14:26)」。

 

 主イエスよ、あなたを愛します。 わたしたちの個人的な生活の中で、日ごとに経験した主を集会するたびに持ち寄ることができますように。主が賜ったあり余る豊富を、神の食物として共にささげて、キリストを展覧することができますように。

 

 

日々キリストの上で労苦して、キリストの何かを持ち、召会の集会に携えて行きます

 

 いつであれわたしたちが共に集まるときは、わたしたちがどのような種類の集会を持つかにかかわらず、わたしたちが経験したキリストを持って集まるべきです。……こうして、キリストの余剰が神にささげられ、全宇宙に展覧されます。その時、わたしたちの集会は豊かにされ、強められます。なぜなら、それらはキリストで満ちているからです。キリストはわたしたちを通して、召会の建造においてだけでなく、召会生活において、召会のすべての集会において、表現されます。……

 

 すべての集会において、わたしたちはささげるべきキリストの何かを持っているべきです。これは、わたしたちが日々キリストの上で労苦するかどうかにかかっています。もし日々キリストの上で労苦するなら、わたしたちはキリストの何かを持ち、召会の集会に携えて来て、他の人に与え、神にささげるでしょう。それによってわたしたちは、神と共にキリストを享受し、キリストを展覧し高く上げます。こうして、キリストは召会生活の豊かな内容として表現されます。(リー全集、1965年、第2巻(下)、「召会の内容としてのキリストとキリストの表現としての召会」、第4編)

 

(JGW日本福音書房 回復訳聖書より)